さまざまな孤独のカタチ
「孤独の名言レシピ」の連載では、これまでさまざまな形の孤独を紹介してきました。
私の周りで記事を読まれた方から感想をいただくこともありました。
とくに離婚したときの寂しさや、空の巣症候群で感じる孤独は、共感される方が多かったように思います。
実際の体験に身につまされる思いがした、という声を聞きました。
まだ読まれていないという方は、こちらからお読みいただけます。
現代において離婚は3組に1組の割合であり、決して他人事ではないと思われた方も少なくないのではないでしょうか。
状況は違っても、孤独を感じていることに変わりはないようです。
ただ中には、「私は孤独を感じていない」という方もあるかもしれません。
孤独を感じる人もいれば、感じない人もいるのでしょうか。
孤独名言から見てみましょう。
孤独の名言紹介“人生はみんな孤独な旅路”
孤独に関する名言をいくつか紹介します。
人生とは孤独であることだ。誰も他の人を知らない。
みんなひとりぼっちだ。自分ひとりで歩かねばならない。
ヘルマン・ヘッセ(ドイツの小説家、詩人、ノーベル文学賞受賞 / 1877~1962)
人はだれでも孤独である。
自己の運命を思う時、苦悩に出会う時、病む時、死を思う時、すべて孤独である。
住岡夜晃(日本の教育者/1893~1949)
ベルリンでも、何も変わりがありませんでした。
その前のスイスでも。人は、生まれつき孤独なのです。
アインシュタイン(理論物理学者、ノーベル物理学賞受賞 / 1879~1955)
人間元来一人で生まれて一人で死んでいくのである。
大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかりきったことだ。
田山花袋(日本の小説家/1872~1930)
これらの名言に共通しているのは「人間は誰しもが孤独である」と言われている点です。
なぜ、みな孤独だと言われるのでしょうか?
孤独感が強くなる原因は「わかりあえないこと」
私たちは一人ひとり顔かたちが違うように、ものの見方、考え方、価値観が異なります。
そうすると、意見はほとんど一致しないでしょう。
他人ならそれでもよいのですが、夫婦など近い関係になると、自分の思いを理解してもらいたい気持ちが強くなります。
しかし、わかってもらえない、わかり合えないのです。
夫は職場で上司にひどいことを言われたけれど、プライドがあって妻には愚痴れない。
妻は家事、子育てのストレス、イライラが募っていても、夫には分かってもらえない。
みんなそういう寂しさを抱えているのです。
周囲から見たら楽しそう、幸せそうに見えても、みんな誰にも言えないものを持っています。
悩み相談できるのは言える範囲のことです。
みんな、「これだけは誰にも言えない」という秘密を心の中に抱えて生きているのです。
わかり合えないところに孤独があります。
仏教で書かれる「孤独の実態」
すべての人は孤独であると言われている、このような言葉があります。
独生独死 独去独来
これは、2600年前に仏教を説いたブッダの言葉です。
孤独は特定の人だけのことではなく、すべての人に共通して存在していることを言われたのです。
「独」の字が4回も使われています。
みんな独りぼっちだということです。
そう聞くと、「私は違いますよ!妻も子どもも両親もいますし、友人にも恵まれています。ひとりぼっちではありません」と反論される方もあるかもしれません。
たしかに、仲間に囲まれて、孤独とは無縁の生活を送っている人も実際あるでしょう。
ここで独りぼっちと言われている意味は、肉体のことではなく、心のことだと言われます。
すでに書いたように、私たちはお互いにわかり合えない心の孤独を抱えて生きてはいないでしょうか。
その孤独の本質を教えられているのがブッダの言葉なのです。
寂しさの正体は「暗い心」
その孤独の本質について、仏教では「無明の闇」と教えられています。
無明も闇も、暗いという意味です。
「暗い」とはハッキリしない、わからないというときに使われる言葉でしょう。
日常会話でも「私は転勤したばかりで名古屋の地理に暗いです」など言いますね。
パソコンの使い方がよくわからないと「パソコンに暗いです」と言ったりします。
では、「無明の闇」とは何に暗いのかというと、「自己に暗い心」です。
私たちは、自分の価値がわからず、不安な心を抱えているのではないでしょうか。
この心が今の私を孤独にしている原因だと言われているのです。
無明の闇はすべての人にあるものだとブッダは教えられています。
だからこそ、孤独とはだれか特定の人だけではなく、皆が抱えているものなのです。
おわりに
12回にわたって連載してきた「孤独の名言レシピ」も今回が最終回です。
これまでにいろいろなタイプの方のお話を伺ってきましたが、やはり皆さん、理解者を求めていることが知らされます。
自分のことを分かってもらいたい、共感してもらいたい、話を聴いてもらいたい、という気持ちに孤独の心が表れているように思いました。
だからこそ、相手に話に共感し、耳を傾けていくことがとても喜ばれることなのですね。
今回書いたように、孤独はみな抱えているものですが、孤独な心の晴れる時があるとも教えられています。
それにはまず、孤独な心に気づくこと、そして孤独を見つめることが大切なのではないでしょうか。
この連載で人生について考えるきっかけが提供できたなら嬉しいです。
今まで読んで頂き、ありがとうございました。
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