「母の日」に母を思う
5月9日の日曜日は「母の日」です。
「母の日」や「カーネーション」は、俳句の季語にもなっているようです。
それだけ、私を産んでくれた母への思いは、ひとり、ひとり、格別なものがあるのでしょう。
今回は、江戸時代を代表する俳人・与謝蕪村(よさぶそん)のエピソードを、木村耕一さんにお聞きしたいと思います。
与謝蕪村の生い立ち
──芭蕉(ばしょう)と並んで、江戸時代を代表する俳人といわれる蕪村は、どんな人だったのでしょうか?
はい、蕪村の母親は、苦労の人でした。
丹後国から大坂の庄屋へ奉公に出てきて、働いているうちに、主人の子を産んだのです。
本妻には2人の子がありました。しかし、いずれも女の子であったため、蕪村は、跡継ぎとして育てられたのです。
──複雑な家庭環境ですね。
はい、当然、周囲の目は冷たいものでした。
母の立場は奉公人でしかありません。人目を絶えず気にして、働きづめに働きました。
子供のことだけを念じて耐えていた母は、蕪村が12歳の時に、この世を去ってしまうのです。
4年後、今度は、父が亡くなりました。
大家族の中で、もう、かばってくれる人はいません。
「姉に婿を迎えて家督を継がせるべきだ」と公然とささやかれるようになりました。
──それは、居場所がなくて、つらいです。
翌年、追われるように、蕪村は、家を出ました。
天涯孤独の蕪村に、行く当てはありません。
絵を学び、俳句を詠みながらの、漂泊の人生が、17歳から始まるのでした。
母の温かさ
──漂泊の人生とは……。世の中は厳しいのではないでしょうか。
はい。どこへ行っても、無条件で受け入れてくださるのは、親だけであると、しみじみ知らされます。
61歳になった蕪村が書いた詩の中に、次のような一節があります。
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懐袍(かいほう)別に春あり
(春風馬堤曲・しゅんぷうばていきょく)
「遠い昔のことですが、優しかった母のご恩を、しきりに思い出します。母のふところには、どこにもない格別な温かさがありました」
──じーん、ときます。
はい。この時、蕪村が母と死別してから、すでに50年近くたっていますよね。
他の記憶は年とともに薄れていきますが、「母の温かさ」は、反対に、より一層強くよみがえってくるから不思議です。
母の存在は偉大ですね。
(新装版『親のこころ』木村耕一編著より)
「母への思い」を、聞かせてください
木村耕一さん、ありがとうございました。
「他の記憶は年とともに薄れていきますが、『母の温かさ』は、反対に、より一層強くよみがえってくる」とお聞きし、本当にそうだなと実感します。
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