今も昔も難しい
今も昔も「難しいなぁ」と思うのは、人間関係ではないでしょうか。
例えば、上から目線で話してくる人には、イライラします。
その人に専門知識があれば、「言い方は気に食わないけれど、もっともな意見だな」と納得できます。
ところが、知ったかぶりの上から目線だと、「何にも知らないくせにっ!」と思い、余計イライラします。
こんな人が、兼好さんの時にもあったようです。『徒然草』から、木村耕一さんの意訳でどうぞ。
そばにいる人は、我慢して聞いているのです
(意訳)
「この和歌は素晴らしいですね」と、誰かが批評しているのを聞くことがあります。
しかし、取り上げた歌そのものが、下手な作品の場合は、聞くに堪えがたい思いがします。
少しでも和歌の道を心得ている人ならば、そんな下手な歌を褒めたりはしないでしょう。
これは和歌の道だけではありません。
何事においても、専門的な知識も経験もない分野のことを、知ったかぶりして話をしないようにしましょう。
そばにいる人は、我慢して聞いているのです。本当に、嫌な思いをしているのですから。
【原文】
人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思いては語らじ。
すべていとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。(第57段)
(月刊なぜ生きる4月号「古典を楽しむ」 意訳・解説 木村耕一 イラスト 黒澤葵 より)
兼好さんも我慢していた
木村耕一さん、ありがとうございました。
「専門的な知識も経験もない分野のことを、知ったかぶりして話す人」は、昔からあったのですね。
兼好さんも我慢して聞いていた、と知ると少し気が楽になりました。
今でも共感できる古典って、素敵ですね。