水なすが美味しくなる時期
5月20日は「水なすの日」。
これから夏にかけて、水なすが美味しくなることから制定されたそうです。
普通のナスは、アクが多いので、炒めたり焼いたりして食べますが、水なすは、生のままでサラダに入れたり、浅漬けにしても、とても美味しいですね。
ナスの味の違いから、「天保(てんぽう)の大飢饉(だいききん)」を乗り越えたのが、二宮金次郎(にのみやきんじろう)でした。
木村耕一さんに、二宮金次郎のエピソードをお聞きしました。
二宮金次郎ってどんな人?
──二宮金次郎といえば、小学校の校庭に銅像がありました。
はい、「二宮金次郎」というと、以前は小学校の校庭に建っていた銅像を思い浮かべる人が多いと思います。
薪を背負い、本を読みながら歩く、あの子供の姿ですね。
貧苦に耐えながらも、一心に勉学に励んだことが、彼の将来を大きく変えることになりました。
農民でありながら、小田原(おだわら。現在の神奈川県小田原市)藩主・大久保忠真(おおくぼただざね)に見いだされ、「桜町領(さくらまちりょう。現在の栃木県真岡市にあった)」の財政立て直しを命じられたのです。
──桜町領とは、どんなところだったのでしょうか?
桜町領は、土地がやせていて米の収穫量が少なかったのです。
それでも年貢の取り立てが厳しいので、村から逃げていく農民が後を絶たず、農地の半分以上が荒れ放題でした。
──それは、たいへんですね。そんなところの財政の立て直しは、難事業だったと思います。
そうですね。
桜町領の復興は、単なる財政再建ではなく、農民の生活を救うことを意味していました。
それまでにも多くの人材が派遣されていましたが、すべて失敗に終わっていたのです。
武士にはできなかった難事業が、金次郎に託されたのでした。
秋ナスの味がする
──そんな金次郎と、ナスと、どんな関係があるのでしょうか?
はい、二宮金次郎は、ナスが好きでした。
天保4年(1833)の初夏のこと。
彼は、食事の膳に出されたナスを食べて、首をかしげました。
季節は初夏なのに、もう秋ナスの味がするのです。
──ナスの味の違いから、何を感じたのでしょうか。
金次郎は、
「今年は冷夏となり、稲が育たないかもしれない」
と直感したのです。
そして金次郎は、桜町の農民に、冷害に強いヒエを栽培するように勧めました。
案の定、真夏になっても気温が上がらなかったのです。
雨が続き、稲が実りません。「天保の大飢饉」の幕開けでした。
──金次郎の直感と、機敏な働きかけは、すごいですね。
そうですね。
金次郎は、50年前に発生した大飢饉の様子を調べていたので、
「やがて恐ろしい飢饉がやってくるぞ。もっとヒエ、アワ、大豆を作るんだ」
と促し、各家庭に十分に蓄えさせました。
翌年、翌々年と凶作が続き、いよいよ天保7年には全国的な大飢饉が発生します。
餓死する者、数十万人を超え、死体の山が各所に築かれる有り様でした。
桜町領では、金次郎の呼びかけにより雑穀の蓄えが十分にあったので一人の餓死者も出さずに済みました。
それだけでなく、備蓄した食糧を飢餓にあえぐ村へ届けて多くの農民の命を救っています。
──桜町領だけでなく、他の村の農民の命も救ったとは、素晴らしいです。
そうですね。
金次郎に農村改革の援助を求める声は、この後も、関東全域からわき起こりました。
まさに東奔西走の、忙しい日々を送っています。
70歳で亡くなるまで、生涯、権力にこびず、地位を求めず、自ら荒廃した農村を歩き回り、悲惨な生活に苦しむ人々を救うことに尽力したのでした。
(『新装版 思いやりのこころ』木村耕一編著 より)
木村耕一さん、ありがとうございました。
他人のために東奔西走した二宮金次郎だったと知らされました。
小学校の校庭にあった銅像の金次郎は、すごい人だったんですね。
ナスをいただく時には、金次郎の活躍を思い出したいと思います。
こちらの二宮金次郎のエピソードは、『新装版 思いやりのこころ』に掲載されています。
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