HSP(ひといちばい敏感な人)の基本的な知識から、最新の議論までをご紹介する、精神科医・明橋大二先生の「HSP大全」第13回です。
これまでの連載はこちら
HSPの基本的な内容は下記でまとめていますのでご覧ください。
「親密さへの恐れ(親密になることを恐れる理由)」の4番目は、コントロールを失うことへの恐れです。
境界線って何?イヤな刺激から守ってくれる領域
小さい頃、友達が思い切り漕ぐブランコに2人で立ち乗りしたり、足が着かないような海やプールで遊んだりした記憶はありますか?
刺激的な遊びは、楽しいけれど恐いと感じることがあったかもしれません。
全ての生き物は、刺激が多過ぎても少な過ぎても不快になります。ちょうど良い刺激の強さが大切です。
しかしHSPは、コントロールがうまくいかないと、すぐに刺激オーバーになります。しかも小さい子なら、イヤでも「NO!」と言えません。
電車で席がたくさん空いているのに、わざわざ隣に人が来たらイヤな感じがするように、人には他人に立ち入ってほしくない領域があります。
自分と相手との間に、目には見えない境界線があることで、イヤな刺激や危険から守られています。
空間的な領域だけではありません。
持ち物、時間、身体や性、感情や思考…。
人と人の間には、いろいろな境界線があります。
身近な相手との間に、適切な境界線が引けていますか?
私たちは気づかないうちに、相手の境界線を越えてしまうことがあります。
大人がよかれと思って、子どもの境界線をまたいでしまうことは多いです。
着たくない服を着せたり、学校の宿題を手伝い過ぎてしまったり、執拗な「くすぐり」もそうかもしれません。
子ども同士、大人同士でもそうです。
夫婦や恋人の間では、境界線があいまいになるからこそ、
「隣で激しいイビキをかかれても眠れる」
「自分の持ち物を使ってもらって平気(カード、携帯、お財布)」
「ちょっと時間にルーズでもお互い気にしない」
「みっともない下着を見られてもなんともない」ということがあると思います。
しかし、こういうこともないでしょうか?
チェック1~境界線があいまい
- あの人をどうしても放っておけない(自分で課題を解決するのを黙って見守ることができない)
- パートナーの声の大きさや、しゃべり方が恥ずかしい
- 相手が悪いのに、なぜか自分が謝ってしまっている
- 相手が内気で社交的ではないから、私は退屈だ
- 尊敬するパートナーの好き(嫌い)なものは、自分も好き(嫌い)
- 完全に心の中を見透かされている気がする
アーロン氏は、親密な男女は、自分の気質と相手の気質を混同してしまうと言います。
もし上記のことに当てはまるなら、もしかしたら、相手の感情を、自分の感情であるかのように思い込んでしまっていたり、相手の責任を、自分の責任のように受け取ってしまっていたりするのかもしれません。
もしそういうことがあるなら、もう一度、適切に境界線を引き直す必要があるでしょう。
チェック2~境界線の越境
どちらかというと境界線のあいまいなHSPは、親密な関係に落ち着く前に、こういうこともあるかもしれません。
- 接近されると不安で逃げたくなる
- 何気ない一言に心が揺さぶられて浮き沈みが激しい
- ノーとは言えない
- 相手さえよければ自分はどうでもいい
- かなり夢(妄想)を見がち
アーロン氏は、恋に落ちるとは自分より大きな何かに握られ、空中に放られるようなもので、境界線を少し壊されることだと言います。
この人を愛してしまうとどうなるか分からない、自分を失いそうだ、精神が崩壊するのではないかと、心身のコントロールを奪われることをひそかに恐れ、相手を遠ざけたくなるのは、境界線が柔軟ではないのです。
私たちは、生まれたとき、まだ母親とつながっていて、自分と自分以外との境界線ができていません。
(ちなみに、このときに自分以外の力にコントロールを奪われる経験をすると、強く原始的な恐れを残すことになります)。
しかし、やがて自我が芽生え、境界線ができると、目を閉じたり、顔を背けたり、泣いて拒絶したり、自分にとって不要なものを追い出せるようになります。
今のあなたはもう、絶対的な力の前で無力だったあなたではないのです。
HSPには、この境界線の感覚が特に必要です。
たとえそれが細々と弱かったとしても、ある程度の境界線を持つあなたを、完全に支配できる人はいません。
誰かと親密な関係になったからといって、恐れているシナリオにはならないでしょう。
恋人が情熱的で、断ると多少ガッカリされたとしても、嫌なことは嫌、疲れることは疲れる、だけど「好きだよ」と、正直にはっきりと伝えましょう。
恋人が一番望んでいることは、一緒にいて、あなたも心地よくいてくれることです。
柔軟な境界線の引き方:「本当はどうしたいの?」
柔軟な境界線は、相手を拒絶するのでもなければ、受け容れ過ぎて途中で怒り出すものでもありません。
どちらかが犠牲になるのではなく、相手にとっても自分にとっても、心地よい距離感を一緒に話し合って探せる人が、柔軟な境界線の持ち主です。
では、どうすれば柔軟な境界線を持てるのでしょう?
自分と他人との境界線は、自分の意識と無意識の境界線と似ています。
境界線がうまく機能しないとき、他人を遠ざけたり、無理につなぎ止めたりしようとするのではなく、自分の無意識と親しめばいいのです。
本当はどうしたいか、まず自分の無意識に聞いてみるのです。
反対からも言えます。
自分の本音がわからない(自己を見失っている)とき、他人と一時交わり親密になると、「自己の疎外」を克服できることもあります。
親密さへの恐れの克服には、無意識というテーマが欠かせません。
アーロン氏は「無意識」をこう例えます。
無意識と寄り添って生きるHSPは、大河の土手に生きる農夫のようなものです。
あるいは、火山の斜面、海の岸辺でもいいかもしれません。
そこで生活をするのなら、川が氾濫したり、火山が噴火したり、台風が沿岸を通過するのに備え、逃げる準備をしておかねばなりません。
しかし農夫は「泥や灰が、前よりもずっと大地を豊潤にしてくれること」「安全な地に住んでいたら、このような恵みに預かることはできないこと」を知っています。
(『ひといちばい敏感なあなたが人を愛するとき』エレイン・N・アーロン著、明橋大二訳、青春出版社刊)より
アーロン氏はもうひとつ例えます。
海もまた、無意識の大いなるメタファーに使われます。
そこで魚を獲る者は多くの危険に直面しますが、飢餓はありえません。
祖先の代から住み慣れた大地に生きる事に、怖れる必要はないのです。
どんなに最悪な氾濫、噴火、嵐が起きても、人はまたそこに戻ってやり直せます。
自我の芽は、たとえ一時、無意識に覆い尽くされてしまったとしても、すぐにまた地表に現れるのです。
(『ひといちばい敏感なあなたが人を愛するとき』エレイン・N・アーロン著、明橋大二訳、青春出版社刊)より
無意識は、非常に強力な隣人です。それを恐れて見ないように蓋をするのではなく、適度に交流しながら、仲良くやってゆくのが得策です。
たとえ一時、強い力によってコントロールを失うことがあるとしても、あなたはあなたのままです。何も失うものなどないのです。
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