頑固一徹の意味
「頑固一徹」非常にかたくなで、一度決めたらあくまでも自分の考えや態度を変えようとしないさま。
引用:三省堂『新明解四字熟語辞典』
頑固一徹とは、自分の意見や考え、態度を絶対に変えようとしないという意味ですね。
以下のような場面で使います。
頑固一徹の使い方・用例・類語
「あんた、十分頑張ったんだからもうあきらめたら?」
「とんでもねぇ! オレはやるって言ったら最後までやるんでぃっ!」
と、こんな具合に、一度決めたら最後まで貫いて態度を変えようとしない人を「頑固一徹」と言いますよね。
「あんた、もうそろそろ仲直りしたら?」
「うるせぇ! 向こうが謝るまで口きいてやらねぇんだ!」
うん、これは困った頑固一徹ですね(汗)
さて、この「頑固一徹」という言葉、実は戦国時代のある武将に由来していることを知っていましたか!?その人こそ、信長のもとで活躍した猛将・稲葉一鉄(いってつ)です!
頑固一徹の語源は稲葉一鉄
「頑固一徹の語源は武将「稲葉一鉄」」古書にはこうあります。
「稲葉一鉄という人は、果敢にして剛直、一度決めたら引かない人だった。だから世の人は頑固で引くことを知らない人を「一鉄」と言うようになった。これは稲葉一鉄から始まることである」
引用:名将言行録』
稲葉一鉄ってだれ?」と思ったあなた!
あの信長相手でも一歩も引かなかった剛の者こそ稲葉一鉄です。
肝っ玉のすわった人物で、こんなエピソードが伝えられています。
信長が美濃(岐阜県)を支配するようになると、一鉄はその家来となったのですが、美濃一番の剛の者とうたわれた一鉄を信長は信用していない。
なんと茶会に呼んで暗殺しようと計画していたのです。
ぞぞ~・・・。
部屋に招き入れた信長の家来が「この掛軸の意味が分かりますか?」と一鉄に問うと「ああ、中国の韓退之の詩ですな」と意味をさらさらと詠い上げる。
それを隣の部屋に潜んで聞いていた信長は、一鉄の教養の深さに「ほほ~」と感服し、「いや、実は今日呼んだのは茶会のためではなく、そなたを殺そうとしてなのだ」とあけすけに言う。
すると一鉄「さようですか。きっと殺されるだろうと思い、ならば一人ぐらいは道連れにしたいと思っていたのです」と懐から短刀を取り出しニヤリとする。
「こやつ、やりおるわ」信長もその心意気に大いに感じ入ったといいます。
一歩も引かない頑固者
そんな一鉄は、相手が目上でも頑固なことこの上なし。
織田・徳川連合軍が姉川の戦いに臨んだ時、兵数の少ない家康のため「一鉄! そちを遣わすから家康を助けてやれ!」と織田軍から派遣、獅子奮迅の活躍で倍もある敵を蹴散らした一鉄。
「一鉄、よくぞやった! 褒美にオレの名前から一字くれてやる。今日から「長通」と名乗るがよい!」
だが、この名前が気に食わなかった一鉄。
「いや、結構でござる。代わりに息子に譲ります」と断ってしまった!
ひえっ!鬼・信長さんの逆鱗に触れませんでしたかね(汗)
茶道を嗜む
彼は頑固で武勇一辺倒の猪武者ではありませんでした。
中でも「茶道」に造詣が深く、ときの茶人から手ほどきを受け、茶道の心得が記された書を自ら書写しています。
「けっこうなお点前ですなぁ~」髭をはやした武骨者が、戦場を離れ、しずしずと茶を点てる姿が目に浮かぶ。
受け継がれる負けん気
一鉄の孫娘こそ、三代将軍・徳川家光の養育係となり、江戸城の大奥で絶大な権勢をほこった春日局(かすがのつぼね)です。
家光の弟を溺愛する家光の母を相手に、一歩も引かなかった春日局の肝っ玉は、ひょっとすると祖父・一鉄譲りかもしれませんね。
いざという時は譲らない
お互い譲り合い、相手の意見に耳を傾けることは大切です。
しかし、ここぞという時は自分の意見を自信をもって言い切ることも大切です。
自信がない時は「~といわれております」と主語が曖昧になりがち。
だからこそ「私は~と思います」と「私は」を入れると、その場の空気は引き締まり、相手も耳を傾けてくれます。
平素は静かな茶人だった一鉄も、いざという時は譲りませんでした。
「ここは引いちゃダメなんじゃないか?」と迷う時、一鉄のことを思い出して、前に踏み込んでみてはいかがでしょうか
まとめ
今回は、「頑固一徹」の意味や使い方、由来について説明しました。
最後に簡単に記事内容をまとめておきます。
・頑固一徹の語源は「稲葉一鉄」
・稲葉一鉄は織田信長にも一歩も引かない頑固者
・いざというときには譲らないことも大切
最後までお読みいただき、ありがとうございました。