みんなが「旦那」になれば家庭は円満
今回は最初に、ある家庭の会話を紹介しましょう。
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あなた、週末も仕事だなんて、大変なのね。体にはくれぐれも気をつけてね。
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あぁ、ありがとう。今ちょうど締め切りの仕事があってね。
週末くらい子どもたちの面倒を見なければいけないのに君にばかり負担をかけさせてしまって、申し訳ないね。
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ひろきは、お兄ちゃんになって自分のことを自分でだいぶできるようになってきたから、とても助かってるわ。
でもお父さんと遊べないのは残念がっていたから、落ち着いたら遊んでやったら、喜ぶわよ。 -
うん、今度は必ずひろきと遊びにいくよ。
じゃあ、そろそろ行って来る。
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いってらっしゃい。気をつけてね。
この家族はいつも仲がよく、家庭の雰囲気もいいのですが、それはなぜなのでしょうか?
実は、その理由には「旦那」という言葉の語源が大きく関係しているのです。
そこで、今回は「旦那」をテーマにしたいと思います。
「旦那」の語源は与える人
今では一家の主人を指す言葉として定着していますね。
この「旦那」は、インドの昔の言葉である「ダーナー」からきているといわれます。
「ダーナー」とは与える、施すという意味です。
臓器移植などで「提供者」を意味する「donor(ドナー)」という言葉もここから来ています。
この「ダーナー」という言葉を中国語に翻訳する際に「布施」とされました。
布施は、仏教では大変善い行いであると勧められています。
ですので「旦那」という言葉は、もともと与える人、施す人という意味がありました。
昔は一家の主人が仕事をして、稼いできて家族を養っていたわけですから、妻からすれば施してくれる主人は「旦那」だったわけです。
このように施す人が旦那ですから、本来は男性に限ったものではありません。
女性でも、施し、与えている人は旦那さんなのです。
「ガキ」はもらうことばかり考えている人
旦那に対して、仏教では与えてもらうばかり、受け取るばかりの人を「餓鬼」といいます。
今日、子どものことを「ガキ」と呼んだりすることがあります。
これは仏教の「餓鬼」からきている言葉です。
餓鬼とは、餓鬼界という苦しみの世界の生き物をいい、体中がやせ衰えているのに、なぜかお腹だけがふくらんでいます。
そして、常に飢えて、のどが渇いて苦しんでいるのです。
餓鬼界では、たまたま食べ物・飲み物を見つけて口に入れようとすると、炎となって燃えてしまい、食べること飲むことができません。
そうして飢えに苦しむ世界といわれています。
餓鬼の世界は、生前、施しをしてこなかった人、もらうばかり・受け取るばかりで与えてこなかった者が堕ちる苦しみの世界と教えられます。
ですから将来苦しみたくなければ、もらうことを考えるのではなく、与えること、喜んでもらえることを考えましょうと仏教では勧められているのです。
みんな「餓鬼」ではうまくいかない
最初に紹介した家庭とは反対に、
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あなた、また今週末も仕事なの!!
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なんだよ?仕事なんだから仕方ないだろう。締め切りも近いんだ。
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私だって、平日パートもして家事や育児もしてるのよ。
その上、週末もずっと私が子どもの面倒みてるじゃない。
たまには、子どもの面倒見てよ。 -
俺だって、そうしたいけど、仕方ないだろ。
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仕方ない仕方ないって言うばっかりじゃないの!
という会話がされていたら、家庭内はどんどん険悪になっていくでしょう。
奥さんは精いっぱいやっているし、少しは夫に家庭のことをやってほしいという思いも当然です。
しかし、ご主人はご主人で、「一生懸命働いているんだから家の中でくらいゆっくりさせてくれ」と思っているかもしれません。
「あれしてほしい」「これしてほしい 」「わかってほしい」とみんなが「餓鬼」になってしまうと、うまくいかないのです。
仲良くやっていくためのポイント
夫婦や家族また会社や地域の集まりにおいても、仲良くやっていくためには、いろいろな努力が必要です。
その一つに、布施があります。
みんなが与えること、ほかの人が喜ぶことを考えて行動していくと、その家庭や集まりは雰囲気もよく、気持ちよく過ごせるでしょう。
ですから仲良くやっていくためのポイントは、みんなが「旦那」になることです。
夫婦関係について調査したあるアンケートの中に、家庭への貢献度についての項目がありました。
妻側は、自己評価も夫からの評価も共に、「よく貢献している」という回答がほとんどでした。
一方夫側は、自己評価と妻からの評価の間にひらきがあるようです。
夫は自分では家庭のことをやっているつもりでも、妻からすれば「まだまだ足りない」という思いがあるのでしょう。
温かい接し方でやる気にさせる
では、どうすれば主人は動いてくれるのでしょうか。
イソップ童話の「北風と太陽」という話で考えてみましょう。
これは、旅人のコートを脱がそうと、北風と太陽が挑戦する話です。
まず、北風は冷たい風によってコートを脱がそうとしますが、旅人はますますコートを強く握り締めて、脱がせることはできません。
一方太陽は、旅人がコートを脱ぐように暖かく旅人を照らすことにしました。
太陽の考え通り、次第に暑くなってきた旅人は、自らコートを脱いだのです。
北風のように、冷たい風のような厳しい言動をとって接する方法もあるでしょう。
しかし、太陽のように温かく接して、自らやりたいという気持ちにさせる方法もあります。
協力してもらいたい時は、最初に紹介した家庭のように温かく接してみるのはいかがでしょうか。
そうすると、主人も「妻に負担ばかりかけてしまって申し訳ない、自分ももっと協力しよう」という気持ちになってくれるかもしれません。
笑顔と優しい言葉で明るい家庭に
とはいえ、温かい接し方といっても何からすればいいかわからないという方もあるでしょう。
そんな方に、ブッダは誰でもできる施し(温かい接し方)として「和顔愛語(わげんあいご)」を勧めておられます。
「和顔」とは笑顔のことです。
無表情ですと、怒らせてしまったかなとか機嫌悪いのかなとか、いろいろやきもきさせてしまいます。
笑顔だと相手も安心して話ができたり、気持ちよく一緒に過ごせます。
相手に安心感を与えるのが、笑顔の施しです。
「愛語」とは、優しい言葉ということです。
誰しも、ときに傷ついたり、辛いとき、落ち込むときがあるでしょう。
そんな時、言ってもらったあの一言がとても嬉しかった、勇気ややる気をもらえたことがあるのではないでしょうか。
そこまでいかなくても、挨拶や「ご苦労様」とか「お疲れ様」などのちょっとした労いの言葉、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えるのも愛語です。
「笑顔で、お帰りなさいお疲れ様」と迎えたり、「いつも家族のためにお仕事ありがとう」と労ったり、笑顔でやさしい言葉をかけていくことから始められてはどうでしょうか。
急に面と向かってそんなことできないという方は、メールや置手紙、メモで伝えてみてもいいかもしれません。
お互いが「旦那」になれば、今以上に明るい家庭になるでしょう。
そのためにも、「旦那」として温かい接し方をおススメしたいと思います。
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