東京オリンピックでは、日本選手のキラキラ輝く活躍に、元気や希望をもらいました。素晴らしかったです。
閉会式では、マラソンの表彰式も行われました。オリンピックにとって、マラソンは特別な競技なのですね。
昭和39年の東京オリンピックでは、円谷幸吉(つぶらやこうきち)選手が、マラソンで銅メダルを獲得。今回は、円谷選手のエピソードを、木村耕一さんにお聞きしました。
一流選手になるためには、毎日の練習だけでなく、真面目な生活態度が不可欠
──昭和39年(1964)の東京オリンピックでは、円谷幸吉選手が、マラソンで銅メダルを獲得しました。日本人初の快挙に、国中が喜びに沸きたったそうですね。
はい、ですが、当時この結果を予測した人は、誰もいなかったのです。
彼は陸上選手でしたが、マラソンを始めたのは、わずか7カ月前、という新人だったのですよ。
──えー、それは意外です。そんな円谷選手が、なぜ、大記録を樹立できたのでしょうか?
その答えを探しに、福島県の須賀川アリーナに「円谷幸吉メモリアルホール」に行ってきました。
ここに展示されている円谷選手の言葉に、その答えがあるようです。
「マラソンはごまかしがきかない真面目なスポーツである。
自己を裏切れば、その結果が成績として現われる。
正しい生活、正しい精神、正しいトレーニングより、
実力が発揮される。
マラソン即人間教育であり、社会教育と考える」
42.195キロを走り抜く2時間余りだけが、戦いではないのです。マラソン当日までの、取り組み姿勢のすべてが、正直に現れるのだと言っています。
──走る技術や、トレーニング方法ばかりに目が行ってしまいがちですが、円谷選手は、それらを支える精神、生活態度をとても重視していたのですね。
これは彼が尊敬する村社講平(むらこそこうへい)さんのアドバイスでもありました(村社さんは、ベルリンオリンピックの5,000メートル、10,000メートルで、ともに4位に入賞した一流の選手)。
ある日、村社さんは、円谷選手が所属する自衛隊体育学校を訪れました。その際、円谷選手の部屋が、きちんと整頓され、清潔で、日常生活がとても規則正しいことに感心したのです。ここに、大いなる将来性を見抜いた村社さんは、次のように激励しています。
「円谷君、日本の一流選手になるためには、毎日欠かさない練習と、真面目な生活態度が肝要だ。これは君自身の問題で、外部の人がとやかく言ってできるものではない」
この言葉を、円谷選手は胸に深く受け止め、実践していったのです。
──どんなことをされていたのでしょうか?
はい、強化合宿などで、円谷選手と同室になった人からは、いつも驚きの声が上がりました。
彼は、衣服を脱いだら下着に至るまで、きれいにシワを伸ばし、枕元に重ねて寝るのです。入浴の時も同じです。
朝は、慌ただしく布団から抜け出す人ばかりですが、円谷選手の寝具は、いつも、きちんと畳まれていました。
──疲れていたり、焦っていたりすると、つい「どうでもいいや」とチャランポランにしてしまいますが、円谷選手は乱れがないのですね。私は反省しました。
また、ほとんどの選手は、グラウンドでスタートラインに立つ前に、トレパン、トレシャツを、そのまま脱ぎ捨てるか、仲間に、ぽいっと投げ渡します。
ところが円谷選手は、気持ちが高ぶっているはずなのに、物静かな顔つきで、衣類を丁寧に畳み始めるのでした。それも、いちいちシワを伸ばしながら……。
──そんな時に、落ち着いて、いつものことを実行できるのは、すごいと思います。
はい、忙しさ、慌ただしさ、高まる緊張感にも左右されず、きちんと整理整頓ができるのは、心の鍛錬の現れといっていいですね。
こういう姿勢で、コーチの指示に、愚直に従ったからこそ、短期間で諸先輩を追い越し、日本人初のマラソンメダリストに飛躍することができたのでしょう。
円谷選手が、「マラソン即人間教育であり、社会教育」と結んでいるように、ごまかしがきかないのは、人生も同じだと思いますね。
──木村耕一さん、ありがとうございました。
一流のスポーツ選手から、元気や希望をもらうのは、その試合だけではなく、そこまでの人生が現れているからだと思いました。「努力は必ず報われる」と知らされますね。私も頑張ろうと思います。
円谷幸吉選手のエピソードは、『人生の先達に学ぶ まっすぐな生き方』に掲載されています。
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