風に涼しさを感じ、虫の音が響いてくるようになると、季節は秋に進んだなと感じます。
秋といえば、読書の秋!
秋の夜長に、本を読む時間は、人生を豊かにしてくれますね。
実は、兼好さんも読書家だったようです。
今回ご紹介する『徒然草』第72段は、あの古典に書き方がソックリ……。
みなさんは、上品と下品との違いは、どこにあると思いますか?
兼好さんは、こんなのは「下品だ」と教えてくれています。
木村耕一さんの意訳でどうぞ。
ゴミ箱のゴミは、多くても見苦しくない
(意訳)
一目見て、下品な感じのするもの。
座っている辺りに、物が多い有り様。
硯(すずり)に、筆が多く置かれている有り様。
お仏壇に、仏や菩薩(ぼさつ)の像が多い有り様。
庭に、石や草木が多い様子。
人に会って話す時に、口数が多いこと。
自慢げに、自分の善行を多く書き並べること。
多くても見苦しくないのは、本棚の書物。ゴミ箱のゴミ。
【原文】
賤(いや)しげなるもの。居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石、草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあいて詞(ことば)の多き。願文に作善多く書きのせたる。
多くて見ぐるしからぬは、文車の文。塵塚(ちりづか)の塵。(第72段)
読み継がれる作品に
兼好法師が、どんな状態を「下品だ」と感じるのか、とてもリズミカルな文章で表されています。
──「ゴミ箱のゴミは多くても見苦しくない」とは意外でした。
はい、これは、整理整頓、掃除の大切さを伝えているのでしょう。
──確かに、整理整頓と掃除が行き届いていると、上品さを感じますね。物が多すぎるのは、整理整頓ができていないから、下品な感じがすると言われているのですね。
それにしてもこの段、清少納言の『枕草子』の書き方に似ていると思いませんか。
──はい。『枕草子』には、「にくき物」「ありがたきもの」「はしたなきもの」など、こんな感じで、ズバズバ書かれている所が多いと思います。『徒然草』ではなく、『枕草子』の一段かと思うほどソックリでした。
そうですね。兼好法師は、『枕草子』を読み込んでいたに違いありません。
『徒然草』第19段には、深まる秋の美しさを描写したあとで、兼好法師は、次のように語っています。
「このようなことは、すでに『源氏物語』や『枕草子』に言い古されています。だからといって私は、今さら同じことを言うのをやめようとは思いません。だって、思っていることを言わなかったら、どんどん腹が張ってくる感じがして、いらいらするじゃないですか」
まるで言い訳のように聞こえますが、兼好法師は古今の名作を熟読し、文章の書き方を学んでいたことが分かります。
──本を読むのは大切なんですね。
はい。そのような努力があったればこそ、700年も読み継がれる作品が生まれたのです。
女性の感性が光る『枕草子』と、客観的で合理的な考えが多い『徒然草』を読み比べてみるのも、楽しい時間になるでしょう。
(『月刊なぜ生きる』7月号「古典を楽しむ」 意訳・解説 木村耕一 イラスト 黒澤葵 より)
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