古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ
今回の古典の名著『歎異抄(たんにしょう)』の理解を深める旅は、「鴨長明(かものちょうめい)と『歎異抄』」。
あれ? 鴨長明さんが書いたのは『方丈記(ほうじょうき)』ですよね。『歎異抄』と、どんな関係があるのでしょうか?
木村耕一さん、よろしくお願いします。
(古典 編集チーム)
「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします
(『月刊なぜ生きる』に好評連載中!)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……」
名文ですね。鎌倉時代の随筆『方丈記』の書き出しです。
著者の鴨長明は、一丈四方(約五畳半)の粗末な庵に住み、自然の中で悠々自適に暮らした文化人として知られています。現代でも、「煩わしい人間関係を離れて、自然の中で暮らしたいなあ」と、長明にあこがれる人が多いようです。
──はい、私もあこがれます。木や石は、文句を言いませんからね。
今回は、『方丈記』の著者、鴨長明の足跡を訪ねましょう。
──あの〜。このコーナーは『歎異抄の旅』ですよね。鴨長明と、どんな関係があるんですか?
それは、鴨長明の方丈庵跡(ほうじょうあんあと)へ行ってから、説明しましょう。
『方丈記』は、いつ、どこで書かれたのか
京都駅でレンタカーを借りて出発。
京都市伏見区日野にある法界寺のすぐ近くまで来ると、
「鴨長明方丈石(ほうじょうせき) 是(これ)より約1000M」
という標識が現れました。
標識に従ってさらに車を走らせると、方丈石の手前300メートル辺りで道路が行き止まりになっていました。
車を降りて、山の上へ向かう細い道を歩きます。林の入り口には、次のような立て札がありました。
「ここの杖 ご自由にお使い下さい 日野老友会」
今も訪ねる人が多いのでしょう。親切に、杖が何本も置かれているではありませんか。
ここからの坂道は、背の高い樹木のトンネルの中を進んでいくようでした。とても静かです。聞こえてくるのは、チロチロと湧き出る水の音と、カサカサと木々を揺らす風の音だけです。さし込む日の光も優しく感じました。
800年前も、こんな風景だったに違いない。この道を、鴨長明も歩いたのだろうなあ……。
そばに、「長明方丈石」と刻まれた石碑がありました。江戸時代に建てられたものです。その隣には、由来を記した石碑もありました。
山から突き出たこの巨大な石を「方丈石」と呼ぶそうです。
鴨長明は、この石の上に方丈庵を建てて、暮らしていたのでした。
そんな長明が、58歳の時、自らの生涯を振り返って一気に書き上げたのが『方丈記』です。
美しい京都を襲った想定外の大災害
長明は、実際に京都を襲った大災害を、克明に記していきます。
──それで『方丈記』は、日本初の災害文学と評価されているのですね。
まず、火災の被害を、次のように書いています。
(意訳)
私が生きてきた60年あまりの間に、「まさか!」と叫びたくなるような、想定外の災害に、何度も遭いました。それは、ある日、突然、襲ってきたものばかりです。
あれは、安元3年(1177)4月28日のことだったでしょうか。風が激しく吹いて、ガタガタ物音が鳴りやまず、落ち着かない夜でした。折悪く、都の東南で発生した火災が、強風にあおられて、西北へ向かって、どんどん広がっていったのです。
民家だけではなく、しまいには、帝が住む大内裏まで炎に包まれ、朱雀門、大極殿、大学寮……と、次々に焼けていきました。国家の威信をかけて造った巨大な建物も、たった一夜で、灰になってしまったのです。
火のつかない家は、まるで、もうもうたる煙にむせび、苦しんでいるようです。
燃え盛っている家は、まるで、口から吐き出すように、炎を勢いよく、地面にたたきつけています。
この大火災で、都の3分の1が焼失したといわれます。その損害は、いったい、どれくらいになるのか、想像もできないほどです。
人間が、いくら一生懸命に頑張っても、報われないことが多いのが、この世の中です。まるで、水面に浮かんだ泡が、ぱっと消えてしまってから、「儚いなあ」「愚かだったなあ」と知らされるものばかりではないでしょうか。
私たちは、どんな世界で生きているのか……
──とてもリアルで、映像が浮かんでくるようです。
この大火災が起きたのは、長明、23歳の時のことです。
その後、竜巻、大飢饉、大地震……と、想定外の災害が都を襲いました。建物が崩壊したり、伝染病が蔓延したりして、どれだけ多くの人が苦しんだかしれません。
──現在も、台風や洪水、大地震、新型コロナウイルスの蔓延など、多くの人が苦しんでいます。長明さんの生きていた時代と変わらないですね。
そうですね。今も昔も、いつ、どうなるか分からない世の中に生きていることが分かります。
同じメッセージが、『歎異抄』にも書かれてありました。
(原文)
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常(かたくむじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もってそらごと・たわごと・真実(まこと)あることなし。(『歎異抄』後序)(意訳)
火宅(※)のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。
※火宅……火のついた家のこと
──まるで、『方丈記』のメッセージが、全部、『歎異抄』に収まっているようですね。
私たちは、どんな世界で生きているのか、そして、幸せになる道はあるのかを書かれているのが、『歎異抄』なんですね。
木村耕一さん、ありがとうございました。杖を頼りに方丈石まで行って、『歎異抄』と『方丈記』を読み比べてみたくなりました。次回もお楽しみに。