秋晴れの下、街が活気づいてきました。
行き交う人の中、ふと、美しい女性の姿に見ほれてしまいました。
美しい娘さんのことを「小町娘」といわれるようですね。
その由来は、小野小町(おののこまち)。クレオパトラ、楊貴妃(ようきひ)と並んで、「世界三大美人」といわれることもあるのだとか……。
そんな美人の代名詞になるほど有名な小野小町ですが、どんな女性だったのでしょうか? 今まで知らなかったことに気がつきました。
そこで、小野小町の謎に迫った『徒然草』の一段を、木村耕一さんの意訳でどうぞ。
小野小町さん、あなたは、どんな人だったの?
(意訳)
小野小町は、絶世の美人として非常に有名なのですが、どんな女性だったのか、極めてハッキリしないんですよ。
『玉造(たまつくり)』という文書には、年老いた小野小町の姿が書き残されています。若い時には縁談が雨のように降っていた小町も、身内が次々に亡くなって、天涯孤独の身となり、仏教を聞き求めるようになったそうです。
この『玉造』の作者は、三善清行(みよしきよゆき)だといわれています。
でも、なぜか『玉造』は、三善清行よりもずっと前の時代の、空海(くうかい)の著作目録に入っているのです。
では空海が、小町の老後の姿を書いたのでしょうか。
しかし、小野小町が才色兼備の女流歌人としてもてはやされたのは、空海が亡くなった後のはず……。
真面目に考えると、ますます、分からなくなりました。
(解説)
兼好法師は、皆が言っていることであっても、きちんと根拠を調べて検討しているのです。
三善清行は、西暦918年に亡くなりました。
空海は、西暦835年に亡くなっています。
小野小町は平安初期の歌人であり、空海が死亡した時には、まだ10歳になったか、どうかという年頃だったようです。空海が、小町の老後の姿を書き残すことができるはずがないのです。
【原文】
小野小町がこと、極めて定かならず。(第173段)
(『月刊なぜ生きる』6月号「古典を楽しむ」 意訳・解説 木村耕一 イラスト 黒澤葵 より)
『百人一首』に選ばれた小野小町の歌
木村耕一さん、ありがとうございました。
兼好さんの「小野小町がこと、極めて定かならず」は、重みがありますね。
「有名だから。みんなが言っていることだから」とうのみにするのではなく、自分できちんと調べることが大切だと分かりました。
小野小町の歌が、『百人一首』に選ばれています。
花のいろは 移りにけりな いたずらに
わが身世にふる ながめせしまに
(出典)『古今和歌集』
木村耕一さんに、この歌を意訳してもらいました。
(意訳)
咲き誇っていた桜の花も、すっかり色あせてしまったわ。雨が降っているのを眺めている間に……。
私の容姿も、気がついたらこんなに衰えてしまったわ。無駄な時を過ごしている間に……。
とても心にしみる歌ですね。
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