12月14日は、赤穂浪士(あこうろうし)討ち入りの日。
以前は、「忠臣蔵」の超大作ドラマを何時間も見るのが、年の瀬の国民行事のようでした。
江戸城、松の廊下。
吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかる浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を、梶川与惣兵衛(かじかわよそべえ)が「殿中でござる!」と止める場面は有名です。
話の流れが分かっていても、人形浄瑠璃や歌舞伎、映画、ドラマなどでずーっと語り継がれ、人気があるのはどうしてなのでしょうか?
なぜ事件が起きたのかをひも解きながら、「忠臣蔵」の人気の秘密を木村耕一さんにお聞きしました。
江戸城を揺るがした刃傷事件
──『忠臣蔵』は、どうして人気があるのでしょうか?
はい、「江戸時代に起きた大事件」ですが、本質的には人間が2人以上集まれば、どこでも起こりうる悲劇だからだと思います。
──そうなんですね。私は、あんな歴史的大事件とは関係ないと思っていましたが……。
では、なぜ事件が起きたのかをひも解いていきましょう。
事件が起きたのは、元禄14年(1701)3月14日。江戸城、松の廊下。
35歳の浅野内匠頭が、突然、
「おのれ! この恨み……」
と叫んで、61歳の吉良上野介に斬りかかったのです。
「ここで刀を抜いたら、わが身は切腹、家名は断絶が掟」とは、百も千も承知していたのですが、内匠頭は、やってしまったのです。
──なぜ、怒りを抑えることができなかったのでしょうか。
ここまでの経緯を、『新編忠臣蔵(しんぺんちゅうしんぐら)』(吉川英治著)を基に見ていきたいと思います。
──よろしくお願いします。
まず、浅野内匠頭とは、どんな人物なのでしょうか。
赤穂藩5万3千石の大名で、わずか9歳で3代藩主となり、「殿様」としての教育を受けてきました。常にトップであり、他人に頭を下げることなど、ほとんどない境遇で育ってきた人です。
──子どもの時から、トップの生活ってすごいですね。では、吉良上野介は、どんな人ですか?
はい、刃を向けられた吉良上野介のことを、時代劇では「高家筆頭(こうけひっとう)」と呼んだりしますね。
「高家」とは、幕府の儀式・典礼を司る役職です。
上野介は、高家のトップで、高い官位を持っていました。しかも、吉良家は鎌倉時代から続く名門であり、気位の高い人物だったそうです。
──2人とも、トップ同士だったのですね。
江戸城では、毎年3月に、京都から朝廷の使者(勅使)を迎えて盛大な儀式が行われます。
2人の衝突は、浅野内匠頭が、この年の「勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)」に任命されたことに始まります。
──饗応役ってなんですか?
饗応役とは、一行の出迎え、食事、宿泊などの接待係です。
名誉ともいえますが、一切の経費は担当する大名が負担することになっていました。
しかも、粗相があっては幕府の威信にかかわるので、絶対に失敗は許されません。
──ひえー。自腹で接待するのに、絶対に失敗が許されないなんて。実に頭の痛い任務ですね。
内匠頭は、一度は、幕府に対して、
「私は格式や儀礼を、よくわきまえておりません。まして若輩の身です。何とぞ、この任務は、別の者に任命していただけないでしょうか」
と辞退を申し出ました。
──はい、そうしますよね。
しかし、次のように諭されます。
「その心配はいらぬ。毎年、饗応役に命じられた者は、皆、吉良上野介の指南を受けて、滞りなく務めておる。そなたも、すべて、上野介の指図に従えばよいのだ」
つまり、吉良上野介は、浅野内匠頭が、ミスをしないように、指導、監督する立場にあったのです。
──吉良上野介と浅野内匠頭の関係は、接待係の上司と部下だったのですね。
「自分は正しい」という思いが強いと悪意はなくても、相手を怒らせる
早速、浅野家から吉良家へ、家老が挨拶に出向きました。
こんな時、手ぶらで来る者はいません。上野介は、大きな期待を抱いて待っていましたが、それはすぐに落胆に変わり、素っ気なく追い帰してしまいました。
──え、なぜでしょうか?
進物が、あまりにも少なかったからです。
「何じゃ! 5万3千石の浅野家ともあろうものが、この程度の手土産とは。人をばかにするのも甚だしい。あんな田舎者に、饗応役が務まるものか!」
──どうして、上野介は、そんなに腹が立ったのでしょうか?
進物が少ないのは、「軽く見られた」「ばかにされた」としか思えなかったのでしょうね。
──「ばかにされた」と思ったら、そりゃあ腹が立ちます。内匠頭は、上野介をばかにしたのでしょうか?
いえいえ、内匠頭には、少しも悪意はありませんでした。彼は、こう弁明するでしょう。
「私は、清廉潔白な武士道の君主を目指している。幕府の高官である吉良殿に、まるで賄賂(わいろ)のように金品を贈るのは、かえって失礼だろう。この大任を果たした後で、しっかりとお礼をするつもりだ」
──そう言われると、立派な武士道に思いますが……。
ところが、饗応役を命じられた大名は、指南料として、それ相応の金品を、前もって贈るのが、当時の常識になっていたのです。それが、高家の役職に付随した収入とみなされていたのですよ。
──えー、高家の収入とみなされるほどの常識だったとは……。
内匠頭は、「自分は正しい」という思いが強く、少しも疑っていませんが、世間に疎かったといわれてもしかたがないかもしれませんね。
──あー、ここに大石内蔵助(おおいしくらのすけ)がいて、「高家への挨拶のことは、私にお任せください」と言っていれば、あの事件は起きなったのではないでしょうか……。残念ですね。
ちょっとした行き違いや誤解が、怒りの心を生み、取り返しのつかない事態に発展することは、よくあることですね。
悪い感情を抱くと、ささいなことでも、悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまう
間もなく、内匠頭自身が吉良家を訪れ、師匠に入門する弟子のように、慇懃な礼をとって指導を仰ぎました。
上野介は、
「こいつは、それほど愚鈍な男とも見えない。もしや指南料のことは知っていながら、口先でごまかして、出さずに済ませようというずるい手口かもしれない」
と、かえって邪推するようになりました。
一度、悪い感情を抱くと、ささいなことでも、悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまうものなのですよ。
──わぁ、恐ろしいですね。この行き違いが、あの事件の始まりだったのですね。
(『人生の先達に学ぶ まっすぐな生き方 日本人の大切にしてきた心』木村耕一(著)より)
初めはどちらも、悪気はなかった
木村耕一さん、ありがとうございました。
内匠頭は、大石内蔵助などの家臣に慕われていた、誠実で立派な武士だったと思います。
一方、上野介は、映画やドラマでは悪人のイメージが強いですが、領地の三河(愛知県)では、治水事業や新田開発に力を注ぎ、領民から慕われていたようです。
初めはどちらも、悪気はなかったと思います。
それが、ちょっとした行き違いから、相手を悪く思ってしまうと、どんどん、悪いほうへ、悪いほうへと事態が発展していったと知らされました。
そうして、怒りや憎しみで、どうにもならない感情までいってしまうのは、恐ろしいです。
江戸時代の事件を通して、自分の生き方を見つめ直してみるのも、読書の楽しみの一つですね。
大きな活字の『新編忠臣蔵』
吉川英治の名作『新編忠臣蔵』を、大きな活字の単行本で味わいたい、という読者の要望に応えました。
『新編忠臣蔵』は、お近くの書店にてお求めください。
ご自宅へお届け希望の方は、
電話: 0120-975-732(通話無料)、
または、思いやりブックス(本の通販)に
お問い合わせください。