日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #122

  1. 人生

『徒然草』からの生きるヒント〜少しぐらい寂しくても、独りで静かに過ごすほうが、よっぽどいいですよ(徒然草 第75段)

独りの時間をどう過ごす

長引くコロナ禍で、人との距離を取り、独りでいることが多くなっています。

独りは「寂しい」など、マイナス面もありますが、兼好さんは「少しぐらい寂しくても、独りで静かに過ごすほうが、よっぽどいいですよ」と言っています。

なんだか、前向きになりますね。独りの時間を、どう過ごしたらいいのでしょうか。

『徒然草』の一段を、木村耕一さんの意訳でどうぞ。

酔っていませんか? 夢を見ていませんか?

【意訳】
少しぐらい寂しくても、独りで静かに過ごすほうが、よっぽどいいですね。
世間に合わせようとすると、どうでもいいことに心が奪われて、迷いやすくなってしまうからです。

例えば、人とつきあう時は、「相手に逆らわないようにしよう」「話を合わせるようにしよう」と気を遣うので、本心を言うことができません。

だから、人と冗談を言って笑っているかと思ったら、けんかに発展することもあるのです。誰かの言動が気になって、人を恨み、文句ばかり言いたくもなってくるでしょう。

反対に、人から褒められると、すぐに有頂天になって喜んでしまいます。

このように、周りからのちょっとした刺激で、浮かんだり沈んだりしますから、心が安らかになる時がないのです。

しかも、何を見ても「これは損か、得か」と、利害を計算する心がわき起こって、ひとときもやむことがありません。

このような人は、迷っているうえに、酔っています。酔いながら、さらに夢を見ているのです。体は忙しそうに走っていながら、心はぼーっとして、大切なことを忘れています。

実は、これが、すべての人の姿だといっていいでしょう。
しかし、これではいけないのです。

たとえまだ、誠の道である仏教を知らなくても、せめて、心を惑わす縁から遠ざかる努力をしましょう。そして、心静かに、「何のために生きるのか」と、自己を見つめる時間を持ってこそ、人間らしい心の安らぎ、充実感を得ることができるようになるのです。

【原文】
世に従えば、心、外(ほか)の塵(ちり)に奪われて惑いやすく、人に交われば、言葉よその聞きに随(したが)いて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争い、一度(ひとたび)は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。分別みだりに起りて得失やむ時なし。惑いの上に酔えり、酔いの中に夢をなす。走りて急がわしく、呆(ほ)れて忘れたること、人皆かくのごとし。(第75段)

『徒然草』からの生きるヒント〜少しぐらい寂しくても、独りで静かに過ごすほうが、よっぽどいいですよ(徒然草 第75段)の画像1
(『月刊なぜ生きる』令和3年2月号「古典を楽しむ」 意訳・解説 木村耕一 イラスト 黒澤葵 より)

自分を見つめる時間を

木村耕一さん、ありがとうございました。

確かに、人と一緒にいるのは楽しいですが、相手に合わせるのが苦痛になったり、相手の言動に腹が立ったり、損した、得したと、心は落ち着かないな〜と思います。
自分を見つめる時間が大切なんですね。

兼好さん、生きるヒントをありがとうございました。

『徒然草』を、分かりやすい意訳で

「つれづれなるままに、日ぐらし……」で始まる『徒然草』。
木村耕一さんが、現代に通じるメッセージを66選び、分かりやすい意訳で紹介します。
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