1. 子育て

「604グラムでも強く生きてる…!」死産・余命宣告を乗り越えた、低出生体重児ママが語る壮絶な出産記

「普通のお母さんなら会えない期間に、私は一足早くこの子に会えたから、ラッキーなんや!ってポジティブに考えられるようになったんです」

そう話してくれたのは、3人のお子さんを低体重で出産したあきさん。

しかも双子のお兄ちゃんは、604グラムという超低体重で生まれました。

お子さんの死産や大きな病気との闘い。

それらと向き合いながらも、ポジティブに子育てしているあきさんにインタビューしました。

(1万年堂ライフ編集部)

あきさんとお子さんのご紹介

「604グラムでも強く生きてる…!」死産・余命宣告を乗り越えた、低出生体重児ママが語る壮絶な出産記の画像1

あきさん

3人のお子さんのママで、Instagramを中心に活躍されています。

2015年に、長女のあおいちゃんを2289グラムの低体重で出産。

死産を乗り越え、2020年に帝王切開で双子のひなたくんとひよりちゃんを出産しました。

生まれたときの2人の体重は、ひなたくんが604グラム。ひよりちゃんが1196グラムという超低体重でした。

現在、お子さんの病気と一緒に戦いながら、Instagramで、同じように低体重でお子さんを出産したママを励ますような発信を行っています。

あきさんのInstagramはこちら↓
https://www.instagram.com/aki_ao.hina.hiyo/

低出生体重児、しかも双子の出産!?

――双子のひなたくん、ひよりちゃんの出産について教えていただけませんか。

あきさん:実は最初、つわりがひどくて個人病院に入院したときに、検査で3つ子だと分かったんです。

――え!そうだったんですか?

あきさん:そうなんです。

私も先生もびっくりして、ちゃんとNICUのある病院に行ったほうがいいって言われて、転院することになりました。

個人病院の先生には「あなたの身体じゃ3つ子は無理だから、早い段階で中絶したほうがいい」って言われて……。

でも私は、宿ってくれた命はかけがえのないものだから、中絶なんて考えられませんでした。

「諦めよう……」出産までの葛藤

――それは本当に辛い選択だったと思います……。ご家族とも話し合われましたか?

あきさん:たくさん話し合いました。

「あきの身体が1番大事だから諦めよう」って家族みんなが言ってくれて。

でも私はどうしても受け入れられなくて、最終的にはみんな、私の意見を尊重してくれたんです。

それで出産することを決意して、大きな病院に転院しました。

――あきさんにとっても、ご家族にとっても、大きな決断だったと思います。転院したあとの、おなかの中のお子さんの様子を教えてください。

あきさん:実は、転院したあとに受けた検診で、3つ子の1人が息をしていないことがわかりました。

その子はおなかの中で流産してしまっていて……。

ただ、2人の心拍は確認できたので、出産までこのままおなかの中で育てていくことになりました。

先生は「お母さんの身体を思って、1人が身を引いてくれたんだと思うよ」って言ってくれて……。

もちろん最初は全然納得できなかったし、悲しかったです。

でも今、双子を出産してから考えてみると、2人だけでもたくさんの病気をもって生まれてるから、3人だったら誰1人助からなかったんじゃないかって考えられるようになりました。

だから、本当に悲しかったけど、私のおなかに来てくれたその子には、とても感謝しています。

――お母さんの身体を気遣って身を引いてくれた……。とても悲しいですが、そんなふうに受け止められたあきさんは、本当にお強いなと思いました。その後、出産まではどのように過ごされましたか?

あきさん:しばらくずっと入院していたんですが、体調が落ち着いたので絶対安静を条件に、退院することができました。

退院してからも家では、お風呂とトイレ以外は起き上がることすらせず、ずっと安静に過ごしました。

22週になって、いつ子どもが生まれても大丈夫なように、また入院することになったんです。

――そうだったんですね。少しでもおうちに帰ることができて良かったです。あきさんは、ひなたくんとひよりちゃんを、帝王切開で出産したとのことですが、なぜ帝王切開での出産になったのでしょうか?

あきさん:それが、実はおなかの中で、ひなたがひよりに比べて全然大きくならなくて……。

ひよりは順調に大きくなっていたから、だんだんと2人の差が開いていきました。

先生に「ひなたくんのほうが、エコーで見る限り苦しいサインが出てきています。なので、大きく育っているひよりちゃんをメインでおなかで育てて、ひなたくんを諦める。もしくはひなたくんも助けたいんだったら、すぐおなかから出して外で育ててあげたほうがいいです」と言われました。

もちろんできることなら、1日でも長くおなかの中にいてほしかったです。

でも私は、絶対に2人とも助けたいから、帝王切開での出産を決断しました。

あと9時間で帝王切開のはずが……。壮絶な出産

――ひなたくんを助けるための決断だったんですね……。出産のときの様子を詳しく教えてください。

あきさん:2020年4月7日の朝9時から、帝王切開で手術する予定でした。

でも、4月6日の夜中に破水して陣痛が来ちゃって……。

――え!陣痛が来ると、出産が進んでしまいますよね?

あきさん:そうなんです。

帝王切開の予定だったのに、出産が進んじゃって。

でも先生には、「今生まれても、深夜だから小児科の先生が少なすぎて対応できない。普通の出産なら対応できるけど、明らかに小さい双子を今出産したら、助けてあげられない」って言われました。

――そんな……。あと1日で帝王切開の予定だったのに……。

あきさん:ほんとにその通りで、あと9時間待ってくれれば、何の問題もなく出産ができたのにって思いました。

でも、朝の9時にならないと先生が少なくて出産できないので、子宮の収縮を抑える効果がある、2種類の点滴を投与したんです。

その点滴の強い副作用で、身体の震えと冷や汗がずーっと止まらなくて、何度も「もう生まれちゃう!」と思いました。

それでもなんとか、朝の9時まで耐えて、緊急手術をしました。

――強い副作用に必死に耐えながらも、なんとか持ちこたえて手術ができたのですね。

あきさん:はい。無事に帝王切開の手術は成功して、双子は29週4日で生まれました。

604グラムで生まれたひなたは、泣かないだろうって言われてたんですけど「おぎゃあ」って、か細いながらもしっかり泣いてくれたんです。

でも危ない状態だったので、そのまま双子はNICUに運ばれました。

――お話を聞いていて、本当に壮絶な出産を経験されたんだと思いました。でもひなたくんが、か細いながらも泣いてくれて本当に良かったです……! NICUに運ばれたお子さんの、その後の様子を教えていただけませんか。

あきさん:はい。双子は4月7日に生まれて、そのままNICUに運ばれました。

兄のひなたは、先天性の心疾患を持っていることが出産後に分かって、そのせいでひよりよりも大きくならなかったんです。

ただ先生には、「604グラムで生まれた割には、頑張ってくれてる」って言われていて、NICUに運ばれてから1ヵ月くらいは、順調に過ごしていました。

――604グラムという小さな身体で生まれたのにも関わらず、ひなたくんは強く生きてくれていたんですね。その後のひなたくんの様子を教えてください。

「あと2、3日の命です」低出生体重児の病気

あきさん:1ヵ月間は頑張ってくれてたのに、5月5日のこどもの日に、ひなたの容体が急に悪化して、肺高血圧症と診断されました。

肺高血圧症って、投薬をしてから効果が見られないと長期で続けられる治療が少ないんです。

なのに、一向に改善が見られなくて……。

その投薬は、2日、3日続けてできるものではないから、先生に「ひなたくんはあと2、3日の命です」って言われました。

――そんな……。あんなに頑張ってくれていたひなたくんがですか?

あきさん:そうなんです。

その頃は、ちょうど緊急事態宣言が出ていて、基本的に面会制限があったんですが、「もう自由に会いに来て大丈夫です。親子の時間をいっぱい過ごしてください」って先生に言われました。

こどもの日なのにすごくショックで、もう全部受け入れられなくて、「助けて、助けて、どうにかして助けて!」って先生にすがりついて泣きわめきました。

そんな状態でその日の夜、先生から電話がかかってきたんです。

もうなんか、病院からの電話が恐怖で……。

震えて泣きながら電話を取ったら、「ひなたくんに違う病気が見つかりました。その病気の治療薬を投与したら、なんとか持ち直してくれました」って言われたんです。

――本当に良かったです……!ひなたくんの生命力に感動しました。

あきさん:私もその電話をもらったとき、心の底から安心しました。

2、3日の命だって言われてたのに、頑張って危機を乗り越えてくれて。

結局ひなたは、そのあとも心臓の治療などで入院生活が続いて、やっと退院できたのが生後7カ月が過ぎたときでした。

――無事ひなたくんが退院できて良かったです。そのときのひよりちゃんの様子も教えていただけますか?

あきさん:勝手なもんで、604グラムで生まれたひなたばかりに意識がいってしまっていて。

考えてみたら、ひよりも1196グラムでだいぶ小さいじゃないですか。

なのにひなたのことばかり気にしていたら、今度は逆に、ひよりが危ない状態になってしまって……。

――今度はひよりちゃんがですか……?

あきさん:そうなんです。動脈管開存症という病気で。

普通なら生まれて2、3日くらいで、閉じなくちゃいけない血管が、閉じなくなる病気で、心臓の手術をすることになりました。

閉じない血管を、チタンのクリップで止める手術だったんですが、無事に成功してひよりは少しずつ回復していきました。

なので、ひよりは生後77日目で退院することができました。

今も闘病中の病気

――ひよりちゃんの手術が無事成功して良かったです! ひなたくんとひよりちゃんは、今現在も大きな病気と闘っていると思います。詳しく教えていただけますか?

あきさん:はい。2人とも無事退院はしたけど、今も治療のために定期的に病院に通っています。

ひなたは心臓の病気で、定期的に心臓の血管を太くする手術を受けないといけません。

身体障害者1級を持っていて運動制限もあるし、今後普通に学校に行けるかも分かりません。

日中の酸素が足りないから、1年半以上は在宅酸素療法をしていました。

あと、実は2回目の大きな手術のときに、心臓に穴が開いてしまったんです。

それで自脈が正常に戻らず、またすぐ手術して、ペースメーカーをいれることになってしまいました。

――そんなことがあったんですね……。ひよりちゃんのことも教えてください。

あきさん:ひよりは肝臓に病気を持っています。

これがあまり症例のない病気で、はっきりと確立された治療というものがないんです。

肝臓の中の血管にバイパス手術をする方法もありましたが、それも今の所難しいと言われています……。

肝臓移植が最終的に根治療法になるらしいですが、それも今はまだ難しいです。

吐血・下血を繰り返すたびに、内視鏡で血管内に薬を注入する硬化療法をしたり、輸血したりしながら過ごしています。

病気との向き合い方

――ひなたくんも、ひよりちゃんも一所懸命、病気と闘って生きているんですね……。あきさんはそんな子どもたちの病気と、今後どのように向き合っていきたいですか?

あきさん:2人とも、一生抱えていかなきゃいけない病気を持っていて、心配は尽きません。

正直、いつなにがあるかわからないし、不安に押しつぶされそうになることだってあります。

でもやっぱり、ちょっとしたことで一喜一憂するんじゃなくて、目の前にある問題を1つ1つクリアしていくことが、病気と向き合ううえで1番大切なことだと思うんです。

同じ低出生体重児のママへ、伝えたいこと

――お子さんが大きな病気を持っていながらも、ポジティブに考えられるあきさんは、本当に素晴らしいと思いました……! 同じように、低出生体重児を出産されたお母さんに、あきさんが伝えられたいことはありますか?

あきさん:自分が子どもを小さく生んでしまったという、負い目を感じるお母さんも多いと思います。

私も昔はそう思っていました。

でも色んなことを乗り越えて、「他のお母さんはまだ赤ちゃんがお腹の中にいて会えない。でも私はその会えない期間に、一足早くこの子たちに会えたからラッキーなんや!」って何事もマイナスではなく、プラスに受け取れるようになりました。

もちろん赤ちゃんのためには、絶対に正期産がいいですけどね(笑)

「この子たちは小さく産まれたけど、精一杯生きてくれて、私に新しい発見や気づき、諦めない気持ち、当たり前にあるものの大切さや感謝の気持ち……。たくさんのことを教えてくれる大切な存在です!」と胸を張って言いたいです。

 

今回は、あきさんに低出生体重児の出産について、聞かせていただきました!

次回の記事でも、あきさんにインタビューさせていただき、低出生体重児の子育てについて詳しくお聞きします。