古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ
残暑が続いておりますが、朝晩は、虫の声が聞こえてきて、秋の訪れを感じるようになりました。
今回の『歎異抄』の理解を深める旅は、一足早く紅葉の京都へ。
『平家物語』に描かれた悲恋の舞台「滝口寺」を、木村耕一さんが訪れます。よろしくお願いします。
(古典 編集チーム)
「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします
(『月刊なぜ生きる』に好評連載中!)
悲しい恋の物語
──『平家物語』は、軍記物語と聞きますが、恋のエピソードも書かれているのでしょうか。
はい、『平家物語』には、悲しい恋のエピソードが、いくつも描かれています。
その中でも、横笛(よこぶえ)という名の女性と、平家に仕える武士・斎藤時頼(さいとうときより)の別れは、強烈な印象を与える場面です。
明治時代には、この二人の悲恋を描いた小説『滝口入道』(高山樗牛著)が大ヒットし、後に映画化もされました。
──平安末期から鎌倉時代に語り継がれた悲恋物語が、後に、小説化、映画化ってすごいですね。
はい、その横笛と時頼ゆかりの寺が、京都市の嵯峨(さが)にあることが分かりました。滝口寺(たきぐちでら)です。観光案内の情報には、あまり出てこないので、これまで見つけることができませんでした。
──貴重な情報をありがとうございます!
それでは、滝口寺を訪ねて、『平家物語』と『歎異抄』の関係を見ていきましょう。
──よろしくお願いします。
滝口寺へ
JR京都駅から、嵯峨嵐山駅(さがあらしやまえき)へ向かいます。
嵯峨嵐山駅から、小倉山(おぐらやま)方面へ歩いて20分くらいで、祇王寺(ぎおうじ)と滝口寺の前に到着します。
──祇王寺は、平清盛(たいらのきよもり)と白拍子のエピソードを思い出しますね。
はい、その祇王寺へ入る坂道を上っていくと、途中で滝口寺へ向かう道と分岐しています。
狭い階段を上ると山門があり、「滝口寺」と額が掲げられていました。
さらに階段を上っていくと、小倉山を背にして建つ小さな寺がありました。
周りの樹木が、赤や黄色に色づいています。
ここが滝口寺です。
もとは往生院三宝寺(おうじょういんさんぽうじ)でした。明治時代に廃寺となりましたが、昭和初期に「滝口寺」として再建されたものです。
──この場所で、どのようなドラマがあったのでしょうか。
美しき横笛
『平家物語』には、次のように描かれています。
平清盛が、絶大な権力を握っていた頃のことです。
清盛が、都から福原(現在の神戸)へ向かう道中、淀川(よどがわ)の河口付近で宿泊しました。その夜の宴席で、酒をつぎに出た11歳の女性に目がとまります。遊女宿の主人の娘、横笛でした。その美しさに引かれた清盛は、横笛に、自分の娘の身の回りの世話をする仕事を命じたのです。
──清盛は美しい娘さんには、目がないですね……。
それから何年かあと、横笛に恋文を送る男性が現れました。宮中を警護する武士、斎藤時頼です。二人は、深く愛し合うようになったのです。
ところが、時頼の父が激怒します。
「おまえを、地位や権力のある家の婿にして、思いのままに出世させ、幸せな暮らしができるようにしてやろうと思っていたのだ。横笛のような、身分の低い女との結婚は許さん! 別れなさい!」
父は、無理やり、二人の交際を禁じたのでした。
──大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていても、そんな結婚ばかり。恋愛の自由もないような、大変な時代ですよね。
悩む時頼
時頼は、深く、思い悩みます。
「この世は『老少不定(ろうしょうふじょう)』といわれる。年老いた者から順に死ぬとは決まっていない。若いとはいえ、自分もいつ死ぬか分からない。人の一生とは、火打ち石の光のように、一瞬の間のことでしかないではないか。
たとえ長生きできたとしても、七十歳、八十歳を過ぎることは、めったにないだろう。しかも、人生の中で、体力も気力も盛んな時期は、わずか二十年あまりだ。
そんな夢まぼろしのような世の中で、好きでもない女と結婚して、地位や金、財産を得ても何になるというのか。
しかし、愛する人と結婚すれば、父の命に背くことになる。勘当されたら、彼女と生きていくこともできなくなるだろう。どうすればいいのか……」
悩んだ末、時頼は、こう決断します。
「いずれを選んでも、死ぬ時に悔いが残るであろう。しかし、このような煩悶が起きたからこそ、私は、無常の世の中で、なぜ生きるのかを考えることができた。私は、仏道修行に身を投じ、永遠に変わらない幸せを求めたい」
19歳の時頼は、髪をそって僧侶となり、嵯峨の往生院へ入ったのでした。
道を急ぐ横笛
横笛は18歳になっていました。彼女は、時頼が出家したと聞いて驚きます。
「私を捨てるのは、しかたがないとしても、出家して姿を消してしまうなんて、ひどすぎます! どうして私に何も言ってくれないの! 二人の心は通じ合っていると思っていたのに……。
とにかく一度、あの人を訪ねていって、私の想いをぶつけないと、気持ちが治まらないわ」
ある日の夕方、横笛は供の女性を一人連れて、嵯峨の奧へ向かいました。
その道すがら、春風に乗って、梅の香りが漂ってきます。大井川には霞がかかり、月の影がおぼろげに映っていました。
横笛は、「こんなにせつない私の心を、あなたは分かっていますか? みんな、あなたのせいよ……」と、時頼を思いながら、道を急ぐのでした。
嵯峨の往生院には、寺がいくつもあります。時頼が、どの寺に入ったかは、誰も教えてくれませんでした。自分で探すしかありません。
暗い夜道を、この寺かもしれない、あの寺かもしれないと、横笛は、ひたすら歩きました。途中で休んだり、方角が分からず立ち尽くしたりしている姿は、まことに痛々しいものでした。
灯籠の光を頼りにして、ある小さな寺に近づくと、念仏の声が聞こえてきました。忘れもしません。愛する時頼の声だったのです。
──横笛は、ようやく時頼を見つけられたのですね。そして、二人はどうなるのでしょうか。次回をお楽しみに。