今年の漢字は「戦」
今年の漢字は「戦」。思えば、ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮のミサイル発射など、戦争を意識することが多い1年でした。
「戦」といえば、12月14日は、赤穂浪士(あこうろうし)討ち入りの日。
「江戸時代に起きた大事件」が、人形浄瑠璃や歌舞伎で大ヒットし、現在も映画やドラマで人気になっています。
時代を超えて、多くの人の共感を呼ぶのはなぜでしょうか。
木村耕一さんにお聞きしました。
忠臣蔵のあらすじ
──木村さん、忠臣蔵のあらすじを教えていただけますか。
それでは、『新編忠臣蔵』(吉川英治著)を基に見てみましょう。
赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は、江戸城で、勅使の接待役を務めていました。
その時、任務の上司である吉良上野介(きらこうずけのすけ)から、大勢の前でバカにされたのです。
噴き上がる怒りの炎。浅野は刀を抜いて、吉良を斬りつけてしまったのです。
事件を裁いた幕府は、浅野には切腹を命じましたが、吉良には「おとがめなし」と言い渡しました。
喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)の鉄則を破ったのです。
この不公平な裁決に、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめとする赤穂藩士は激昂し、仇討(あだう)ちを固く決意します。そして、御家断絶、5万3千石没収などの艱難辛苦(かんなんしんく)の末、ついに元禄15年12月14日、四十七士が主君の仇討ちを果たしたのでした。
──「怒り」が連鎖して不幸が拡散するのは、今も昔も変わらないようです。
しかし、なぜ浅野内匠頭は、怒りを抑えることができなかったのでしょうか。
はい。キッカケは、どこにでもありそうな、ちょっとしたことでした。
──それは知りたいです。よろしくお願いします。
衝突の始まり
江戸城では、毎年3月に、京都から朝廷の使者(勅使)を迎えて盛大な儀式が行われていました。
2人の衝突は、浅野内匠頭が、この年の「勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)」に任命されたことに始まります。
饗応役とは、一行の出迎え、食事、宿泊などの接待係。名誉ともいえますが、一切の経費は担当する大名が負担することになっていました。しかも、粗相があっては幕府の威信にかかわるので、絶対に失敗は許されません。大名にとっては、実に頭の痛い任務でした。
──お金もかかるし、プレッシャーもかかるし、やりたくない仕事ですね。
内匠頭は、一度は、幕府に対して、
「私は格式や儀礼を、よくわきまえておりません。まして若輩の身です。何とぞ、この任務は、別の者に任命していただけないでしょうか」
と辞退を申し出ました。
しかし、次のように諭されています。
「その心配はいらぬ。毎年、饗応役に命じられた者は、皆、吉良上野介の指南を受けて、滞りなく務めておる。そなたも、すべて、上野介の指図に従えばよいのだ」
つまり、吉良上野介は、浅野内匠頭が、ミスをしないように、指導、監督する立場にあったのです。
「自分は正しい」という内匠頭
早速、浅野家から吉良家へ、家老が挨拶に出向きましたが、上野介は、素っ気なく追い返してしまいます。
──え、どうしてですか。
進物が、あまりにも少なかったからです。
上野介は、
「何じゃ! 5万3千石の浅野家ともあろうものが、この程度の手土産とは。人をばかにするのも甚だしい。あんな田舎者に、饗応役が務まるものか!」
と腹を立てました。
上野介は「軽く見られた」「ばかにされた」としか思えなかったのです。
──内匠頭に、何か悪意があったのでしょうか。
いえいえ、内匠頭には、少しも悪意はありませんでした。
彼は、こう弁明するでしょう。
「私は、清廉潔白な武士道の君主を目指している。幕府の高官である吉良殿に、まるで賄賂のように金品を贈るのは、かえって失礼だろう。この大任を果たした後で、しっかりとお礼をするつもりだ」
ところが、饗応役を命じられた大名は、指南料として、それ相応の金品を、前もって贈るのが、当時の常識になっていました。それが、吉良上野介の役職に付随した収入とみなされていたのです。
内匠頭は、「自分は正しい」と思っているので、少しも疑っていないのですが、世間に疎かったといわれてもしかたがないですね。
ちょっとした行き違いや誤解が、怒りの心を生み、取り返しのつかない事態に発展することは、よくあることではないでしょうか。
邪推する上野介
間もなく、内匠頭自身が吉良家を訪れ、師匠に入門する弟子のように、慇懃な礼をとって指導を仰ぎました。
上野介は、
「こいつは、それほど愚鈍な男とも見えない。もしや指南料のことは知っていながら、口先でごまかして、出さずに済ませようというずるい手口かもしれない」
と、かえって邪推するようになりました。
一度、悪い感情を抱くと、ささいなことでも、悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまうから恐ろしいです。
──それは、ありがちですね。上野介も、内匠頭のことを「若いからまだ世間が分からないのだろう。真面目な男のようだから、学んでゆけば立派になるだろう」と善意に解釈できたら、あの事件は起きなかったのではないでしょうか。
そうですね。しかし接待初日の朝から、2人の行き違い、衝突がエスカレートしてゆき、とうとう、元禄14年3月14日、江戸城松の廊下で浅野は刀を抜いて、吉良を斬りつけてしまいました。
(『人生の先達に学ぶ まっすぐな生き方』木村耕一 より抜粋)
──ちょっとした腹立ちから、とんでもない事件に発展してしまう可能性は、誰にもあるなと思いました。怒りの心は恐ろしいですね。
『新編忠臣蔵』を読んで歴史から学び、一度きりの人生、大切に生きたいなと思います。
大きな文字で、吉川英治の名作を
大きな活字の単行本で味わえる『新編忠臣蔵(上下巻)』。
美しい日本語、スピード感あふれる展開……。
吉川英治は忠臣蔵を舞台に、人間とは何か、人間関係の危うさを描き、悔いなき生き方を考えるヒントを与えてくれています。
人生の先達に学ぶ まっすぐな生き方
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