古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ
暖かい春が待ち遠しくなってきました。
散歩していた時に思わず「は〜るよこい、は〜やくこい♪」と口ずさんでいたら、通りすがりの人に振り向かれてしまい、赤面。失礼しました。
さて、今回の『歎異抄』の理解を深める旅は、琵琶湖(びわこ)を訪れます。
琵琶湖といえば、「われは湖(うみ)の子 さすらいの〜♪」の「琵琶湖周航の歌」。
この歌はどのようにして生まれたのでしょうか。
木村耕一さん、よろしくお願いします。
(古典 編集チーム)
(前回までの記事はこちら)
「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします
(『月刊なぜ生きる』に好評連載中!)
三高の学生が作詞した琵琶湖周航の歌
海のように広い琵琶湖の玄関口にあたる、大津港(おおつこう)に着きました。
「われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと……」
美しい琵琶湖の自然を歌った「琵琶湖周航の歌」が浮かんできます。
──懐かしい歌ですね。いつごろ作られたのでしょうか。
この歌は、大正6年に誕生してから、100年以上も歌い継がれています。
フランク永井さん、都はるみさん、小林旭さん、渡哲也さん、倍賞千恵子さんなど、数多くの歌手によってカバーされてきました。中でも昭和46年に、加藤登紀子さんが歌ったレコードは70万枚の大ヒットを記録しています。
──そんなに多くの人に親しまれているのですね。そんな「琵琶湖周航の歌」は、どのようにして生まれたのでしょうか。
では、「歎異抄の旅」の本題に入る前に調べてみましょう。
この歌は、もともと三高(現在の京都大学)の寮歌だったのです。
作詞したのは三高の水上部(ボート部)の学生・小口太郎(当時19歳)でした。
水上部では、3日から5日間ほどかけて、ボートを漕いで琵琶湖を一周する行事を、明治26年から行っていました。
大正6年6月の琵琶湖一周に参加した小口太郎たちは、大津からボートを漕ぎ出し、1日めは近江舞子(おうみまいこ)に宿泊。
2日めは今津(いまづ)に泊まります。その夜、小口太郎が、
「今日、ボートを漕ぎながら、こんな詩を作った」
と仲間に披露したのが「琵琶湖周航の歌」でした。
その歌詞は、彼らの心を打ちました。
さっそく、当時、若者の間で人気となっていた「ひつじぐさ」という曲に乗せて歌ってみると、ぴったりと合い、とても盛り上がったといいます。
──わあ、楽しそうです。青春の1ページですね。
はい。こうして生まれた「琵琶湖周航の歌」は、三高の寮歌、学生の愛唱歌として広まっていきました。
作詞者の小口太郎は、その後、東京帝国大学(現在の東京大学)に進み、研究者として優れた力を発揮していきます。しかし、26歳で自殺してしまいました。徴兵され、研究を断念せざるをえなくなり、絶望したのではないか、といわれています。
──それは、悲しいです。
「琵琶湖周航の歌」の元の曲になった「ひつじぐさ」は、吉田千秋が作曲したものでした。20歳の時にイギリスの詩を翻訳し、曲をつけて音楽雑誌に投稿した作品です。
吉田千秋は10代の頃から結核のため学校に行くことができず、独学で7カ国語を習得したという秀才です。しかし病には勝てず、24歳で亡くなりました。
100年以上も歌い継がれる名曲を残した2人ですが、こんなにも短い一生だったとは知りませんでした。
国家権力による束縛や、病気との闘いに直面した2人は、どれほど悔しく、悲しい思いをしたことでしょうか。
──はい、とても残念に思います。
こういう事実を知ってから、「琵琶湖周航の歌」を聞いてみると、人の一生とは、広い広い湖をさすらう旅のようなもの……、と歌っているように感じます。
「われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと……」
心から安心できることもなく、さすらい続けているような、漠然とした不安に共鳴する人が多いので、いつまでも歌い継がれているのではないでしょうか。
まさに、「この世は、火宅無常(かたくむじょう)の世界」と教える古典『歎異抄』に、通じるものがあります。
流罪人として京都から越後へ
『歎異抄』の末尾には、鎌倉時代の初めに起きた浄土宗への弾圧の様子が詳しく記されています。
天台宗、真言宗、禅宗などの仏教諸宗が結託して、無実の罪で浄土宗を朝廷に訴えたのです。浄土宗の急速な発展に危機感を抱いたためでした。
その結果、権力者によって、浄土宗は解散、念仏布教は禁止させられました。
さらに法然上人(ほうねんしょうにん)は土佐(高知県)へ流刑、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は越後(新潟県)へ流刑、法然上人の弟子4名には死刑が執行されたのです。
親鸞聖人は、35歳の時に「流罪人」として京都から越後へ送られました。
──NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描かれていなかったですが、そんなに大変なことがあったのですね。
私たちも、『歎異抄』の理解を深めるために、親鸞聖人と同じ経路をたどって越後へ向かうことにしましょう。
──はい。よろしくお願いします。
当時、京都から北陸へ向かうには、山科から逢坂山(おうさかやま)を越えて近江国(滋賀県)へ入り、琵琶湖を船で北上するルートが一般的でした。親鸞聖人一行も、湖南の打出浜(うちでのはま・大津市)から船に乗り、湖北の海津港(かいづこう・高島市)へ上陸されたようです。
なぜ生きるのか
現在の大津港はにぎやかです。
観光船ミシガンの出航に合わせて、お祭りのような音楽が響き渡っています。
ミシガンは、琵琶湖大橋から南側を周遊する外輪船です。滋賀県と姉妹州であるアメリカ・ミシガン州との国際友好親善を期して「ミシガン」と命名され、今年、就航40周年を迎えました。
船内では楽しい音楽演奏やイベントが企画されており、軽食やビュッフェ料理など多彩な食事も味わうことができます。
──華やかな船ですね。
港に入ってきたミシガンの写真を撮ろうとして水辺に行くと、ガチョウが3羽いたのには驚きました。近づいても逃げません。眠そうな顔をしています。間もなく羽の中に顔を入れ、立ったまま寝てしまいました。
──のどかな風景です。
しかし、約800年前、親鸞聖人が船に乗られた時は、罪人として護送されたのですから、旅行気分は全くなかったはずです。妻や子どもを都に残し、いつ帰ることができるかも知れない流刑地へ赴くのです。
──どんなにこそ、悲壮感が漂っていたことでしょうか。
ところが、「なんとありがたいことか!」と喜んでおられるのです。
──ええー! 喜んでおられる?
親鸞聖人の御一代を記した『御伝鈔(ごでんしょう)』には、次のように記されています。
(原文)
大師聖人(だいししょうにん)、もし流刑に処せられたまわずば、われまた配所におもむかんや。もしわれ配所におもむかずんば、何によりてか辺鄙(へんぴ)の群類を化(け)せん。これなお師教の恩致(おんち)なり。
(意訳)
法然上人が、もし流刑にあわれなかったら、親鸞もまた、流罪にならなかったであろう。もし私が流刑にあわなければ、越後の人々に阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願を伝えられなかったに違いない。なんとありがたいことだったのか。すべては法然上人のおかげである。
親鸞聖人にとっては、新たな旅立ちだったのです。なんと前向きで、ポジティブな宣言でしょうか。
──はい、素敵です。
大津の港に立つと、琵琶湖の西側に比叡山(ひえいざん)がそびえています。
親鸞聖人は、幼い日にご両親を亡くされ、「今度、死ぬのは自分の番だ」と驚かれました。死ねばどうなるのか。この世が終わったら、どこへ旅立つのか。死後はあるのか、ないのか。さっぱり分からず、未来は真っ暗がりでした。
この、死んだらどうなるか分からない心を解決したいと、親鸞聖人は9歳で仏門に入られました。しかし、比叡山で20年間、修行に打ち込まれましたが解決することはできなかったのです。
天台宗の教えに絶望し、比叡山を下りられた親鸞聖人は、法然上人に出会い、
「どんな人も、必ず無上の幸福に救う」
と誓われた阿弥陀仏の本願(弥陀の誓い)を聞かれたのです。
弥陀の誓いどおりに、無上の幸福に救われた親鸞聖人は、
「これは決して、親鸞だけのことではないのだよ。男も女も、裕福な人も貧しい人も、才能や能力のある人もない人も、全く差別なく、すべての人が弥陀の誓願(誓い)どおりに救われて、永遠の幸せになれるのだよ」
と、生涯かけて呼びかけておられます。
──それはすごいですね。私もお聞きしたいです。
親鸞聖人一行を乗せた船は、大津を出航し、琵琶湖を北上していきます。
しかし途中で、西側の山から吹き下ろす強風のため、船は沖島(おきしま)へ避難しました。沖島は近江八幡市(おうみはちまんし)の沖合に浮かぶ、琵琶湖の中で最大の島です。
沖島で一泊された親鸞聖人は、島の人々に、阿弥陀仏の本願の救いを説かれ、御本尊として御名号(ごみょうごう)をお書きになったと伝わっています。
権力者によって、念仏布教の禁止を強制されたのに、親鸞聖人は、堂々と教えを伝えておられます。この船には、罪人を護送する役人も同行していたはずですが、命懸けで説かれる親鸞聖人を止めることはできなかったのです。
──木村耕一さん、ありがとうございました。親鸞聖人はとてもたくましい方だったのですね。私もポジティブに生きたいと思いました。次回もお楽しみに。
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