今年は、観測史上最も早い「桜の開花宣言」が、次々と届いています。
通勤電車の窓から桜を眺め、休憩時間は桜の下を散歩し、テレビのニュースで花見客を見て、桜づくしの心弾むこのごろ。
でも、もうしばらくすると、この美しい桜も散ってしまうと思うと、少し切ない気持ちになります。
今回は、桜の花に、自分の容姿を重ねた「花のいろは 移りにけりな いたずらに……」の小野小町(おののこまち)の歌を、木村耕一さんの意訳で味わいたいと思います。
百人一首の小野小町の和歌
花のいろは 移りにけりな いたずらに
わが身世にふる ながめせしまに
(意訳)
咲き誇っていた桜の花も、すっかり色あせてしまったわ。雨が降っているのを眺めている間に……。
私の容姿も、気がついたらこんなに衰えてしまったわ。無駄な時を過ごしている間に……。
──木村さん、この和歌には、同じ発音の1語に、2つの意味を持たせる技法が使われているそうですね。
はい、そうなんですよ。
「ふる」は、「経る」と「降る」の掛詞(かけことば)。
「ながめ」は、「眺め」と「長雨」の掛詞になっています。
──そんな意味があったのですね。小野小町の優れた才能が光っているように思います。
はい、平安時代の中期に編纂された『古今和歌集(こきんわかしゅう)』には、小野小町の和歌が18首も選ばれています。
『古今和歌集』の序文に、当時の代表的な歌人の名前が6人挙げられていますが、その中に小野小町が入っているのです。この6人を「六歌仙(ろっかせん)」といいます。
六歌仙の中に、女性は小野小町ただ一人でした。
──それは、多くの男性から注目されるのは当然だったのではないでしょうか。
そうですね。
「小野小町」といえば、現代では美人の代名詞になっています。
クレオパトラ、楊貴妃と並んで「世界三大美人」といわれることもあるくらいです。
──どんな女性だったのでしょうか。
優れた歌人であり、美人でありながら、不幸な生涯を送ったと伝えられていますが、ハッキリ分かっていません。
化粧の井戸
京都市山科区に、小野小町ゆかりの随心院(ずいしんいん)があります。
──どんなエピソードが伝わっているのでしょうか。
それでは、訪ねてみましょう。
京都市営地下鉄東西線の小野駅で降り、旧奈良街道を南へ5分ほど歩くと随心院が見えてきます。
総門から入ると、広い梅園の南側に「化粧(けわい)の井戸」がありました。
この辺りが、小野小町が住んでいた屋敷跡だといわれているのです。
京都市が設置した案内板には、こう書かれていました。
美貌の誉れ高い小野小町は、(中略)三十歳を過ぎたころ宮仕えを辞め小野郷へ戻り、朝夕この水で化粧をこらしたと伝えられています。
小町が使っていた井戸の跡は、今でも観光名所として保存されているのです。
深草少将の百夜通い
表書院の玄関前には、小野小町の歌碑が設置されていました。
──『百人一首』に選ばれている和歌ですね。
歌碑の横には、ある貴公子と小町の伝説が記されていました。
謡曲「通小町(かよいこまち)」の前段、即ち深草少将(ふかくさのしょうしょう)が小町の許(もと)に百夜(ももよ)通ったという伝説の舞台がここ随心院である。
その頃小町は現在の随心院の「小町化粧の井」付近に住んでいた。(後略)
謡曲史跡保存会
──深草少将との間に何があったのでしょうか。
概略は、こうです。
当時、美人と評判の小町に、思いを寄せる男性が多くありました。しかし、プロポーズしようと思っても、男女が簡単に会うことのできない時代です。好意を伝える方法は、手紙か和歌を送るしかありません。貴公子たちは、小町の心をとらえようと、真剣に競い合ったのです。
その中でも、特に熱心だったのが深草少将でした。
小町にとっては、男性からの一方的な申し出は迷惑だったに違いありません。しかし、ハッキリ断るのではなく、
「私の住まいを百夜、訪ねてくださったら、お心に従いましょう」
と返事を出しました。
少将は、大喜びです。
「あなたと結ばれるためならば、何日でも通います」
彼は、雨の日も、風の日も、雪の日も、夜になると自宅から約5キロの道を歩いて小町の屋敷へ通い始めたのです。
しかし、100回になるまで小町は会ってくれません。それでも少将は、訪問したあかしに、毎晩、カヤの実を一つずつ、門前に置いていきました。
苦労して通えば通うほど、小町を恋い慕う思いは、激情となって高まっていきます。
そして99日めの夜。
都は深い雪に覆われていました。
「あと2回で、願いがかなう」
と、心が弾む少将にとって、大雪など物の数ではありません。しかし、これまで、あまりにも無理を重ねてきました。寒さが身にこたえ、体が弱っています。
雪をかき分け、ようやく小町の屋敷にたどり着くと、疲れ切って倒れてしまったのです。
音もなく、夜の雪が降り積もります。
深草少将は、そのまま門前で凍死してしまったのでした。彼の手には99個めのカヤの実が、しっかりと握られていたといいます。まさか自分が100日以内に死んでしまうとは、夢にも思っていなかったでしょう。
深草少将が、99回も通ったのに、小町は顔も見せませんでした。世間からは、「なんて冷たい女性だ」と非難されるようになったといいます。
千通のラブレター
隨心院の東側には、「小町文塚(こまちふみづか)」がありました。
小町のもとには、当時の貴公子たちから、千通を超える恋文が届いたと伝えられています。それらを埋めた場所が、この文塚なのです。
──ラブレターが千通も……。
その応対だけで、小町は疲れ果てていたのではないでしょうか。
このような経緯を知って、
「花のいろは 移りにけりな……」
の歌を読むと、
「まるで、雨の日が続いているように心が暗くなるわ。むなしくて、ぼーっと考え事をしているうちに、こんなに年月が過ぎてしまった……」
と嘆いている小町の姿が浮かんでくるようです。
人には言えない苦しみを歌に……
『古今和歌集』から、小野小町の歌をもう一首、紹介しましょう。
ある男性が、地方官として三河(現在の愛知県)へ赴任する時、
「私と一緒に行きませんか」
と小町を誘ったのです。
彼女は、次のような歌を返しました。
わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて
誘う水あらば いなむとぞ思う
(意訳)
心細くて、つらい日々を送っていますので、もう、わが身が嫌になってしまいました。根のない浮き草は、水に誘われれば、どこへでも流れていきます。私も誘ってくださる方があれば、どこにでも流れてお供をしようと思います。
小町とこの男性の関係は分かりません。
歌人として名声を得た小町が、都を離れる気持ちになるまでには、人には言えない苦しみが、たくさんあったのでしょう。
じっと我慢してきた思いが、この歌から伝わってくるようです。
(『月刊なぜ生きる』 令和3年10月号「古典を楽しむ 百人一首」木村耕一 絵・黒澤葵 より)
──木村耕一さん、ありがとうございました。小野小町が、桜の花を見て、それまで生きてきた思いを込めて歌った一首だと知らされます。桜を見ながら、自分の生き方を見つめ直すのもいいですね。
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小野小町は、桜の花を見ながら、自らの老いを嘆きました。
桜の花は、あっという間に色あせていきます。
同じように人生も、あっという間に過ぎていきます。
誰もが共感する歌だからこそ、『百人一首』で読み継がれているのだと思いました。
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