今回紹介するヒロインは朧月夜(おぼろづきよ)です。
自分の恋心に素直に、奔放に生きた女性として知られています。
光源氏と敵対する右大臣の6番目の娘で、大変可愛がられて育ちました。
当時、貴族の女性は膝行(しっこう)と言って、室内では基本的に膝をついて移動するものでしたが、朧月夜は立って歩く描写があります。
また、彼女は物語の中でハッキリ声を出しますが、普通は考えられないことです。
常識の枠にはまらない自由な生き方をしていたのが朧月夜でした。
そんな彼女が、光源氏と出会ったことにより、やがて大きな事件を引き起こしてしまいます。
事件をきっかけに、朧月夜はどう変わっていくのでしょうか。
朧月夜と光源氏の出会い
ある年の桜が盛りの頃、宮中で花見の宴がありました。
その夜、朧月夜は、宮中にある姉・弘徽殿の住まいの廊下を「朧月夜に似るものぞなき…」と、若々しく美しい声で口ずさみながら歩いていたのです。
すると、ふと誰かが袖をつかみました。
彼女は、恐怖に「まあ、いや、どなた!」と言葉を発します。
相手は「怖がることはありません」と言います。
「月夜に誘われてここに来ました。あなたとは過去世からの約束があったのです」と男は答え、彼女を抱き上げて近くの部屋に連れていき、板戸を閉めてしまいました。
朧月夜は震えながら、「こ、ここに人が!」と声を立てます。
男は「私は何をしても誰からもとがめられない者ですよ。人を呼んでも困ることはありません。静かに…」と言うのです。
朧月夜は声を聞いて相手が光源氏だとわかりました。
そして、光源氏に恋の趣もわからない、思いやりのない女と思われたくない、と心を許してしまうのでした。
もうじき東宮(皇太子)の妃として結婚をひかえていた身、発覚すれば取り消しになるのも分かっていたでしょうが、光源氏との恋を選んだのです。
光源氏は何といじらしく可愛い姫だろう、と思ったようです。
夜が明けて、源氏が帰らねばとせわしい気持ちになっている一方、朧月夜は我に返って、とんでもないことをしたと落ち込みます。
源氏が名前を尋ねても、彼女は答えません。
人の気配もするので、二人は扇を交換しただけで別れました。
当時、扇は必需品として肌身離さず持っているものでした。
扇を交換するのは、「また会いましょう」というお互いへのメッセージだと考えられます。
花見の宴で再会する2人
このあと、朧月夜は夢のように儚かった源氏との逢瀬が思い出されて、たいそう心は沈んでいくのでした。
まもなく東宮と結婚する予定なのです。朧月夜はやるせなく、思い悩みます。
1か月ほどして、右大臣邸で藤の花見をする宴が開催されます。
招待された源氏が、夜に、酔ったふりをして女性たちがいる御殿に入り込みました。
彼は、「扇を取られて困っています」とのんびりした声で言います。
聞いた女房の一人が、「それなら『帯を取られて』というべきなのに、おかしい人!」と言いました。
これは、当時はやっていた有名な歌になぞらえた言葉のようです。
そんな中で、答えはしないものの、朧月夜はため息をついてしまいます。
彼女の居場所を察知した源氏は、彼女に近づき、几帳ごしに手をとらえて歌を詠みかけてきました。
あづさ弓 いるさの山に まどうかな ほの見し月の かげや見ゆると
(月の入るいるさの山のほとりでうろうろしています。ほのかに見た月が見えるかと思って)
朧月夜は、
心いる かたならませば ゆみはりの 月なき空に まよわましやは
(私を真剣に想ってくれる方なら、たとえ月が出ていなくても、道に迷ったりされるでしょうか)
と返すのでした。
朧月夜の恋する気持ちに素直な性格
結局、源氏との恋が周囲に発覚して朧月夜は帝の妃になれず、のちに女官として宮仕えすることになりました。
もともと結婚する予定だった相手・朱雀帝の寵愛を受けて華やかな生活を送っていたものの、実際は源氏のことが忘れられず悩んでいます。
相変わらず光源氏と恋文を交わしていました。
源氏にすれば、朧月夜が帝の愛情を受ける今になって想いがつのるらしく、帝がいないときを見計らっては宮中の朧月夜の元に通い、束の間の逢瀬を持つのでした。
彼女も若く美しい盛りで魅力的です。
朧月夜は源氏との恋に積極的でした。
しかし、だからこそつらいこともあります。
心から かたがた袖を ぬらすかな あくとおしうる 声につけても
(自分から求めた恋ゆえに、あれこれにつけ袖を濡らすことです。夜が明けると教えてくれる声を聞くにつけても)
これは朧月夜が詠んだ歌で、「あく」には明くと飽くを掛けています。
夜明けに光源氏が帰っていく別れのつらさと、自分ほどの真剣な想いがない、源氏の冷淡さを嘆いているのです。
でも、彼女は自分の恋する気持ちに素直に生きていくのですね。
しばらく源氏から便りがない時は、自分から恋文を送ります。
男性からの文を待つもの、という常識にはこだわりません。
木枯らしの 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの ころも経にけり
(木枯らしが吹くたび、お便りがあるかと待っている間に、待ち遠しく思う時も過ぎてしまいました。<もうたまらないので、こちらからお便りいたします>)
密会が家族に発覚!光源氏は須磨へ
そしてある年の夏、事件は起きたのです。
朧月夜は療養のために宮中から実家に帰っていました。
そこに、二人しめし合わせて、光源氏が夜な夜な逢いにきます。
ある日の暁、雨が恐ろしい勢いで降ってきて雷もとどろき、止む気配がありませんでした。
屋敷の人々は騒ぐし、女房たちは怖がって、朧月夜の寝所近くに集まってきます。
源氏が抜け出すすべもなく、たいそう困っているうちに、夜も明けてしまいました。
やがて雷も止み、雨も少し小やみになってきた時、なんと父・右大臣が見舞いにやってきたのです。
朧月夜は顔を赤らめ、寝所からそっと出ていきます。
まだ気分が悪いのかと右大臣が心配していると、男物の帯が娘の衣に絡みついて引きでてきたではありませんか。
怪訝に思い、ふと几帳のもとに落ちている男性用の懐紙も見つけます。手にするや、寝所の中をのぞき込みました。
顔をそっと隠しても、ゆったりと色っぽい姿で横になっている男は光源氏と明らかです。
朧月夜は茫然自失、死んでしまいそうな心地でした。
父・右大臣は、別れたと思っていたのに、娘と光源氏との関係が続いていたことに衝撃を受けます。
懐紙を持って一番上の娘・弘徽殿女御(こきでんのにょうご)に事の次第を伝えました。
朧月夜の姉である弘徽殿の怒りは父親以上でした。
「わが一族をバカにするにもほどがある。この機会に源氏を失脚させてやる!」
この後、光源氏は官位を剥奪され、流罪の決定を待つ身となります。
源氏は決定が下る前に須磨(兵庫県)の地で謹慎することを決めました。
光源氏に会えないつらさが募る
京を去る前、光源氏から朧月夜にも手紙が届きます。
逢う瀬なき 涙の河に 沈みしや 渡るるみおの はじめなりけん
(想いを遂げられないあなたを恋して泣いたことが、流浪の身の上になるきっかけだったのでしょうか)
朧月夜は胸がいっぱいになって、涙があふれ出るのを抑えられません。
涙河 うかぶ水泡<みなわ>も 消えぬべし 流れてのちの 瀬を待たずて
(涙河に浮かぶ水泡…。そのようにはかない私は、悲しみにくれたまま死んでしまうでしょう。行く末の逢瀬も待たないで…)
と返すのでした。
その後、長雨の頃となり、須磨にいる光源氏から手紙が届きます。
朧月夜は返信に、言葉に尽くせぬ想いを訴えます。
浦にたく 海士だにつつむ 恋なれば くゆるけぶりよ 行くかたぞなき
(須磨の浦で塩を焼く海士さえ人には隠すのが恋。ですから大勢の人目を憚ってくすぶる私の思いはどこにも持っていきようがありません…)
光源氏との密会が発覚した後、朧月夜は宮中へ行くことを止められて世間の笑い者になり、源氏とも逢えないつらさは募るばかりで、苦しんでいました。
朧月夜の心を知っていた朱雀帝
そんな中、朧月夜と結婚する予定だった朱雀帝は、彼女と光源氏の関係を知っていました。
しかし、朧月夜がどんな行動をとっても、愛しい気持ちに変わりはありません。
再び宮中に行くことが許された朧月夜を、以前のようにずっと側にいさせます。
朧月夜は、光源氏のことばかり思っているのですが…。
朱雀帝は朧月夜の心中を察していて、「私が死んでも、光源氏が須磨に行った別れほどにも思ってくれないだろうことが悔しい」と優しく言います。
朧月夜は思わず涙をほろほろこぼします。
「それごらん、誰のために泣くのかな」と言われ、返事のしようがありません。
朱雀帝の愛情と優しさに気付く
さてその後、朱雀帝は、須磨・明石で2年数か月過ごしていた光源氏を都に呼び戻しました。
母の反対を押し切って、初めて自ら下した決断です。
光源氏が帰京したあと、朱雀帝は後継者へ帝の位を譲ると決意して朧月夜と語るのでした。
「自分も余命短くなった気がするよ。後に残るあなたに頼もしい後見がいないのがいたわしい。
昔からあなたは私を誰かさんより軽く見ていたけど、私は誰よりもあなたを愛しく思っていたのだよ。彼と関係を戻しても、私ほどの愛情ではあるまい。それがたまらない」
と泣きます。
朧月夜をどこまでも大切に思い、幸せを願っているのですね。
彼女は顔を真っ赤にして涙をこぼします。
今になって光源氏が朱雀帝ほど愛してくれなかったことを感じ、自身のいたらなさや無知のために密会騒動がおこったことを後悔します。
源氏からは相変わらず恋文が届くものの、朧月夜はこりごりの気持ちで返事はしませんでした。
数年の歳月が流れ、朧月夜は朱雀院と同居しています。
忘れがたい多くのことを静かに振り返り、朧月夜はしみじみと次のように思ったことでしょう。
「私が最も愛した男性は光源氏、光源氏ほど魅力的な人はいない。
私を最も愛してくれた男性は朱雀院(朱雀帝)、朱雀院ほど誠実で心優しい人はいない」
光源氏への思いを断ち切った最後の手紙
光源氏と初めて逢ってから20年ほどの年月が流れました。
朧月夜を最も愛していた朱雀院は出家します。
彼女は朱雀院の出家のあと、自身も尼になろうとしました。
しかし、院に「あとを追うような出家は本当の出家ではない」と止められ、ゆっくりと準備をしています。
さらに7年ほどが経ち、朧月夜は念願の出家を遂げました。
源氏から出家について何も言わなかったことを恨む便りが届きます。
朧月夜は彼との手紙のやり取りも、もうこれが最後と心を込めて筆を走らせました。
「この世は無常であるとこれまでの人生で深く知らされていましたが、「先を越された」と聞きますと、たしかに、どうしてあなたが私より先に出家に踏み切っていないのかと思わずにいられません。(都の栄華の生活から離れざるを得なくなって)明石の浦(兵庫県)で寂しい暮らしをなさったあなたが…」
【原文】
常なき世とは身ひとつにのみ知りはべりしを、後れぬとのたまわせたるになん、げに、あま船にいかがは思いおくれけん。明石の浦にいさりせし君。
光源氏のつれなさや世間のうわさに悩まされながらも、奔放に、自身の恋心に素直に生きた、朧月夜の最後の決断でした。
まとめ:悩みながらも、奔放に生きた朧月夜
朧月夜は当時の姫君としては珍しく、立って歩いたりハッキリ声を発したり、自分の気持ちに素直にふるまう女性でした。
皇太子の妃になる予定がありながら、光源氏との恋に身を委ねるところも自由気ままという感じがします。
一方で、自由奔放に生きれば生きるほど、悩みが多い人生でもありました。
源氏への歌には、朧月夜自身の死をにおわせる表現がいくつもあり、それだけ光源氏への思いは真剣だったのでしょう。
しかし、月日を経て、朱雀院が最も自分を愛してくれていたことに気づくところも印象的でしたね。
忘れられない初恋の人、光源氏にしたためた最後の手紙には、一回り人間として成長して、彼への思いを断ち切った様子が見て取れます。
悩みながらも、自分の思いのままに生きたのが朧月夜という女性でした。
***
朧月夜は光源氏との恋愛に生きた女性でした。
一方、光源氏を生涯受け入れなかったヒロインもいます。
それが朝顔の姫君(あさがおのひめぎみ)です。
生涯独身を貫いた朝顔の姫君はどんな人なのか、次回ご紹介いたします。
朝顔の姫君の記事はこちらからご覧いただけます。
こちらの記事では、源氏物語の流れに沿って解説しています。
よろしければご覧ください。
話題の古典、『歎異抄』
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