日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #177

  1. 人生

【百人一首】琵琶法師が詠む「逢坂の関」の出会いと別れ

ニュースで「海外旅行に向けて、パスポート申請に長蛇の列」と聞きました。

そこで、久しぶりに期限切れのパスポートを引っ張り出してみました。
パスポートをめくり、海外のスタンプを見ていると、入国の時の緊張感がよみがえります。到着した空港の窓口にパスポートを出して、片言の英語で「旅行で、1週間滞在します」と伝えます。ドキドキする私の顔をジロリと見た係員が「ポン」とスタンプを押してくれました……。あの時は、妙にホッとしましたね。

ところで昔は、いくつもの関所があったようです。昔の人は、関所にどんな思いを抱いていたのでしょうか。

関所の近くに住む琵琶法師(びわほうし)が詠んだ歌が『百人一首』にありました。
木村耕一さんの意訳でどうぞ。

出会いと別れを歌う『百人一首』

これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸

【意訳】

これがあの、有名な「逢坂の関(おうさかのせき)」ですよ。
旅に出る人が、見送りに来た人と別れる所。
旅から戻った人が、迎えに来た人と再会する所。
顔見知りの人、知らない人、非常に多くの人が出会ったり、別れたりする所。それが、逢坂の関。
人生にも、いろんな出会いと別れがありますね。

【解説】

「逢坂の関」は、山城国(やましろのくに。現在の京都府)と近江国(おうみのくに。現在の滋賀県)の境にありました。都から東国や北陸へ向かう旅人が、最初に通過する関所だったのです。

都の人が、ここまで見送りに来る習慣があったので、いつも混雑していたのでしょう。

この歌を詠んだ蝉丸(せみまる)は、逢坂の関の近くに住んでいた琵琶法師だったといわれています。毎日、多くの人の行き交う姿を見て、彼は、何を感じたのでしょうか。

『百人一首』の注釈書には、「会者定離(えしゃじょうり)」のことわりを詠んだもの、と書かれています。

「会者定離」とは、
「出会った人とは、いつか必ず別れる日が来る
永遠に一緒にいることはできない
と、世の無常を教えた釈迦(しゃか)の言葉です。

そんなことは分かっている、と誰でも思うでしょう。
しかし、このような歌を詠んだ人があります。

会者定離 ありとはかねて 聞きしかど
 昨日今日とは 思わざりけり

突然の不幸に直面した作者は、
「いつか必ず別れる日が来ることは分かっていたけれど、まさか今日、その日を迎えるとは、夢にも思っていなかった」
と泣き崩れているのです。

大切な人と、しばらく会えなくても寂しいのです。
まして、突然、この世を旅立ち、永遠に別れることになった悲しさ、悔しさは、言葉では言い尽くせません。

いつ、別れが来るか分からない無常の世だからこそ、今生(こんじょう)で出会った妻や夫、家族、友人との、一日一日を大切にして過ごしたいものです。

【百人一首】琵琶法師が詠む「逢坂の関」の出会いと別れの画像1

(『月刊なぜ生きる』 令和4年7月号「古典を楽しむ 百人一首」木村耕一 より)

今日の一日を大切に

木村耕一さん、ありがとうございました。

目の前にいるこの人と、ずっと一緒にいられるように思いがちですが、現実は、いつ別れがやってくるのか分からないのですね。

そう思うと、この人と一緒にいられる今日の一日、今の一時間が、とても大切なんだなと知らされました。