今回紹介するのは、箱入り娘・女三宮(おんなさんのみや)です。
彼女は光源氏の異母兄・朱雀院(すざくいん)の娘で、可愛がられて育ちました。
世間知らずで幼い印象のある女性です。
どこまでも無邪気で憎めず、周囲の人は放っておけない気持ちになるでしょう。
自分の意見を持たず、言われるがままの人生を送っていた女三宮も、ある事件をきっかけに少しずつ変化していきます。
いったい何があったのか、見ていきましょう。
朱雀院の愛娘・女三宮
朱雀院は帝を退位したあと、出家に向けて身辺の整理をしていました。
出家にあたり、一番気がかりなのが女三宮です。
朱雀院は、女三宮を娘たちの中でもとくに溺愛していて、出家の前に彼女の結婚を決めてしまいたいと思っています。
年齢より幼い印象で頼りないため、しっかりと面倒を見てくれる人が必要です。
婿候補にはさまざまな人物の名前が挙がるも、結局光源氏が一番ふさわしいということになります。
39歳で、まもなく初老を迎える源氏は非常に驚き、紫の上のこともあって当初は固辞しました。
ところが、朱雀院は病気で出家してしまい、承諾せざるをえなくなったのです。
ただ、女三宮は紫の上と同じく藤壺の姪(お母さんと藤壺が姉妹)にあたることから、源氏の心が動いたのも事実です。
女三宮の降嫁
女三宮の降嫁(こうか:皇女<帝の娘>が皇族以外の男性に嫁ぐこと)は2月でした。
3日間は盛大な祝宴が続き、源氏は毎晩欠かさず女三宮のもとへ通いました。
結婚から数日後、光源氏は日中に女三宮のもとを訪れます。
彼女の女房たちが源氏の素晴らしさに感動する一方、妻である女三宮はまったく無邪気であり、衣装に埋もれるような華奢な体で頼りなげです。
恥ずかしがることもなく、人見知りをしない幼子のような可愛らしい感じでした。
源氏は、兄・朱雀院の育て方に疑問を持ちながらも、彼女を好ましく思います。
また、源氏の言うことに素直に従い、思い浮かんだことをそのまま口にする姿は、とても放っておけない様子でした。
女三宮の気楽な2つの面
源氏は女三宮と接して、彼女の幼さがわかり、紫の上への愛情が増していきます。
たしかに他のヒロインと比べて頼りないところのある女三宮ですが、接していて気楽な面もあるようです。
2つ紹介したいと思います。
➀おおらかな性格
女三宮よりも紫の上を大事にしている源氏は、初めのころ、彼女のもとを訪れても早々に帰ってしまいます。
女三宮の周りの女房(お世話をする人)たちは不満に思っていました。
ところが、女三宮はいつもおっとりしています。
源氏がすぐに帰ってしまうことについても、とくに何も思うことはなかったようです。
それどころか、源氏が自分の元を訪れなくても気にしませんでした。
源氏にすれば気が楽だったでしょう。
➁利害打算がない
女三宮が輿入れしてから何か月かたった夏のこと。
源氏と明石の君の娘・明石の女御が妊娠し、実家の六条院に戻ってきました。
養母の紫の上は、明石の女御に会うついでに女三宮と対面したいと源氏に申し出ます。
源氏を通して聞いた女三宮は、「どんなことを申し上げたらいいのでしょう」とおっとり尋ねました。
源氏は対面した時の返事の仕方など、こまごまと教えるのでした。
対面した紫の上は、女三宮に優しく母親のような態度で接します。
自分たちの血筋のつながり(どちらも藤壺の姪)や、絵の話、自分がまだ雛人形を捨てられないという話をしました。
無邪気な女三宮は、なんと優しそうな人だろう、とすっかり気を許します。
紫の上にとって女三宮は、自分の安定を脅かすライバルでした。
どんな人か確かめておきたいという気持ちもきっとあったでしょうが、彼女の素直な様子に毒気を抜かれた思いだったのではないでしょうか。
このあと2人は仲良く付き合っていくのでした。
柏木登場!女三宮への横恋慕
さてここで、女三宮に想いを寄せる柏木(かしわぎ)という青年が登場します。
光源氏のライバル兼親友である頭中将(とうのちゅうじょう)の長男です。
実は女三宮の婿選びの時、柏木も候補の1人に挙がっていて、彼女と結婚することを熱望していました。
しかし、結果的に女三宮は光源氏に降嫁することになったのです。
柏木は、女三宮が光源氏からうわべだけ大切にされていて、妻として紫の上におされ気味だという噂を聞きました。
「自分だったらそんなことはしない。もしも光源氏が出家したら自分が…」と考えています。
女三宮の最も身近な女房である小侍従(こじじゅう)に、取りついでくれないかと詰め寄るのでした。
さらに燃えあがる恋心
3月末のうららかな日、六条院の春の町で若者たちが蹴鞠を楽しんでいました。
柏木と、光源氏の息子・夕霧も加わります。
柏木の足さばきは比べるもののない美しさです。
御簾(みす)の中では女性たちが目を奪われていました。
そこへ猫が2匹、追いかけっこをしながら御簾の端から飛び出てきます。
すると、猫の首についている綱が御簾に引っかかってめくれあがり、なんと女三宮の立ち姿がはっきりと外から見えてしまったのです。
彼女はきょとんとしていましたが、夕霧が咳払いすると、奥に引っ込みました。
柏木は女三宮を一目見た嬉しさにうっとりします。
ただ、幼いころから光源氏のすばらしさを知っている彼は、「光源氏を夫としながらほかの男に心を移すわけがない」と傷心のまま帰るのでした。
相手にされない柏木
蹴鞠の夕べ以降、柏木は一目見た女三宮を忘れられず、募る想いを何とか伝えたいと小侍従をせっつきます。
女三宮のもとに届いた文には、
よそに見て 折らぬ嘆きは しげれども なごり恋しき 花の夕かげ
(遠くから見るばかりで、手折れぬ投げ木は茂り、嘆きは深いけれども、夕明かりで見た花、あなたがいつまでも恋しく思われます)
とあり、彼女は自分が柏木に見られてしまったことを知りました。
光源氏からいつも「男性に見られないように」と注意されていたのに、見られてしまった…と恐ろしく思います。
見られたことが恥ずかしいというより、源氏に知られたらどれほど叱られるだろう、という気持ちでした。
柏木への返事は小侍従が、「あなたみたいな人が恋しても叶わない相手ですよ」と代わりに書いて返します。
彼は返信を見てとても落ち込み、女三宮の邸にいた猫を借り受けて心を慰めます。
年配の女房たちは、動物に見向きもしなかった柏木が急に猫を懐に抱いて可愛がったり、撫でまわしたりしているのを不審に思うのでした。
女三宮の衝撃
それから5年が経ち、紫の上が急な病で倒れてしまいます。
光源氏は彼女をかつての住まい・二条院に移して看病にかかりきりで、女房たちも祭りの準備のため、忙しくしています。
そんな折、六条院に柏木が忍び込んできたのです。
女三宮の周りに人が少ないときを狙って、小侍従に手引きさせたのでした。
寝ていた女三宮は男性の気配に光源氏が来たと思いましたが、別人でした。
人を呼んでも誰も来ず、わなわなと震えて呆然とします。
柏木は「昔からお慕いしてきました。『あわれ』とだけ言って頂ければ退出しましょう」と想いを訴えてくるものの、怖くて返事もできません。
柏木が目の当たりにした三宮は、気高いというより可憐で、柔らかな様子です。
心が乱れた柏木は、ついに想いをとげてしまいました。
三宮は現実だと思えず、呆然とするばかり。
思い乱れる柏木が「一言、お声を」と願っても、彼女は何も言えません。
柏木は別れゆく悲しみを訴えます。
おきてゆく 空も知られぬ 明けぐれに いずくの露の かかる袖なり
(起きて行く、その先もわからない夜明けの薄暗がりに、どこの露がこうも袖を濡らすのでしょう)
帰ろうとする様子にほっとした三宮は、
明けぐれの 空に憂<う>き身は 消えななん 夢なりけりと 見てもやむべく
(夜明けの薄暗い空に、つらい我が身は消えてしまいたい。これは夢だと思って済ませてしまえるように)
と弱々しくつぶやきました。
以後、女三宮は気後れし、明るい所に出てくることさえしません。
源氏が来ても目を合わせられず、申し訳ない気持ちで涙がこみ上げてくるのでした。
光源氏に秘密が露見
しばらくたち、源氏は女三宮の具合がよくないと聞いて、六条院に行きました。
そこで女三宮が懐妊している、と聞かされます。
不審に思う源氏は、翌朝、柏木から女三宮への手紙を見つけてしまったのです。
源氏は二人に失望すると同時に、かつて自らが引き起こした藤壺との過ちを思い起こすのでした。
それからというもの、源氏は女三宮と二人きりになると冷たく接してくるようになりました。
女三宮へ遠回しに、柏木と密通した思慮のなさを非難し、「年を取った私に飽きているのだろうね」と皮肉を言ったりします。
女三宮はつらく、どうしたらよいか分からずに困ってしまいました。
柏木からの最後の手紙
光源氏に密通が知られたと聞き、柏木は病に倒れてしまいます。
光源氏はそんな柏木を、朱雀院の五十の賀(50歳のお祝い)のリハーサルに強引に招待しました。
息子・夕霧の親友で、幼いころから目をかけていた柏木に裏切られた気持ちで、じっと彼を見つめます。
源氏は柏木のしたことが許せず、酒を無理強いしました。
柏木は宴の途中で退席し、そのまま重病に倒れ、衰弱するばかりとなりました。
病床の柏木から女三宮へ便りが届きます。
今はとて 燃えん煙<けぶり>も むすぼおれ 絶えぬ思いの なおや残らん
(今はこれまでと私をほうむる炎も燃えくすぶって、いつまでもあきらめられない恋の火だけがこの世に残ることでしょう)
そして「あわれとだけでも言ってください」と添えてあります。
一途に女三宮を恋い慕う自分に感動してもらいたい、かわいそうだとも思ってもらいたい、という気持ちなのでしょう。
返事をする気になれない女三宮でしたが、小侍従にせきたてられて、しぶしぶ書きました。
立ち添いて 消えやしなまし 憂<う>きことを 思い乱るる 煙<けぶり>くらべに
(私も一緒に煙になって消えてしまいたい。辛さを嘆く思い、思いの火に乱れる煙は、あなたとどちらが激しいか比べるためにも)
柏木は、この言葉だけが自分にとってこの世の思い出だともったいなく思いました。
彼はしばらくして亡くなります。
箱入り娘・女三宮 2つの変化
この事件をきっかけとして、女三宮の行動に少し変化が現れます。
2つの点を見てみましょう。
➀初めて自分の意思をもつ
女三宮が男の子を出産してからも、光源氏は相変わらずの様子です。
人前ではうまく取り繕っていても、赤ん坊を世話するそぶりはなく、老女房たちには「なんて冷たいのかしら」とうわさされます。
彼女は産後の弱った体で何も口にせず何日も過ごし、父をいつも以上に恋しがって泣いています。
伝え聞いた朱雀院は事前に連絡せず、娘の元を訪ねてきました。
女三宮は「生きていけそうにありません。尼にしてください」と懇願します。
これまで周りの人に言われるがまま生きてきた彼女が、初めて自分の意思をもち、口にしたのです。
以前の彼女からは考えられないことでした。
朱雀院はいったんは諭しますが、やがて出家させることを決心します。
源氏は夜通し思いとどまるよう説得したものの、朱雀院は位の高い僧を呼んで女三宮の髪を削がせるのでした。
➁光源氏との関係の変化
出家のあと、女三宮は光源氏と心理的にも距離を置くようになったようです。
彼がそばに座ると、きまりが悪く背を向けたり、光源氏をまともに見ようとしなくなりました。
一方、彼女にさんざん冷たく接してきた源氏は、今頃になって未練が残り、思いを訴えるようになります。
出家の翌々年の夏、女三宮のために六条院で盛大な法要が開催されたとき、光源氏は次の歌を送りました。
はちす葉を おなじ台<うてな>と 契りおきて 露のわかるる きょうぞ悲しき
(来世には同じ蓮のうてなの上に生まれようと約束しながら、この世では露がこぼれるように分かれて暮らすのが悲しいことだ)
しかし、女三宮からの返歌は
隔てなく はちすの宿を 契りても 君が心や すまじとすらん
(来世は同じ蓮のうてな、とお約束しても、あなたの心はすむことはなく、私と住もうとはしないでしょう)
と、やはりそっけないものでした。
光源氏からすれば冷たく感じたでしょうが、女三宮は、柏木との一件以降、変わってしまった源氏を避けたいがために出家したのです。
何でも素直に受け入れていた彼女が、嫌なことへの向き合い方を覚えたという意味では、これも一つの成長、自立の第一歩と言えるのかもしれません。
息子・薫を支えに生きる
それから月日が流れました。
光源氏はすでに亡くなり、女三宮が生んだ子・薫(かおる)は立派に成長し、貴公子として評判を集めています。
薫は誰からも非常に大切にされ、14歳で元服したあと、めざましい昇進ぶりです。
彼自身は、「自分は本当に光源氏の子なのか」と疑問を抱き悩んでいましたが、もちろん母には尋ねられません。
「母はまだ若く、仏道を求めたい気持ちがそれほど深くはないのに尼となっている。不本意な過ちがもとで、世の中が嫌になったのではないか。世間の人はたとえ知っていても、私に事情を話すことはできまい」
女三宮は、一人息子の薫がこんな悩みに苦しんでいるとはまったく知りません。
勤行以外にはとくにすることもなく、のんびりと過ごしています。
やがて薫は、自分の父親が誰なのかをハッキリと知るのです。
さらに悩む薫が女三宮の元へ行くと、なんの屈託もなく、読んでいたお経を決まり悪そうに隠します。
この無邪気な母に、秘密を知ったなどとは、とても言えません。
薫は自身の悩みをしまいこみ、母をいたわって大切に世話します。
女三宮は、薫を支えに生きていくのでした。
まとめ:女三宮の成長
女三宮はどこまでも純粋で、無邪気な心を持つキャラクターです。
母となっても変わらない少女のような姿は、見る人をほほえましく思わせるのではないでしょうか。
それだけに柏木とのことがなければ、彼女は何不自由なく暮らし、自分の意志をもつこともなかったかもしれません。
人生とは何があるかわからないものです。
つらい出来事も、自分の人生に向き合い、成長する大きなきっかけになることを教えてくれるヒロインだったのではないでしょうか。
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さて、箱入り娘の女三宮と違い、幼いころから各地を転々として苦労してきたのが玉鬘(たまかずら)です。
彼女はかつて光源氏が恋した夕顔の娘。
その美しさから、行く先々で男性たちの注目の的となります。
果たして彼女がどのような人生をたどるのか、次回ご紹介しましょう。
玉鬘の記事はこちらからご覧ください。
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