推しが見つかる源氏物語 #21

  1. 人生

光源氏の敵・弘徽殿女御は怖いだけじゃない!見方が変わる3つの特徴を紹介

今回は、光源氏の敵として長らく立ちはだかる弘徽殿女御(こきでんのにょうご)についてご紹介しましょう。

弘徽殿女御は、光源氏の母・桐壺の更衣(きりつぼのこうい)をいじめた女性たちの中でも、リーダー格だったことで知られています。
気が強く、物怖じしない性格で、まさにお局様と言っていいでしょう。
登場する場面は比較的少ないのですが、読者に強烈なインパクトを与える女性です。

一般的には悪役のように思われている彼女は、果たしてどのような人だったのでしょうか。
今回は、弘徽殿女御を別の側面からも捉えなおしてみたいと思います。

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厚遇される桐壺の更衣

弘徽殿女御は右大臣の長女で、桐壺帝と誰よりも早く結婚した人です。
帝からはそれなりに扱われ、第一皇子だけではなく女の子も産んでいました。

しかし、桐壺帝が最も寵愛したのは弘徽殿ではなく、桐壺の更衣だったのです。

桐壺の更衣について、詳しくはこちらの記事でご紹介しています。

妃たちは、低い家柄の出身で身分の劣る者が最も寵愛されることに我慢ができません。
とくに弘徽殿は、自分こそが寵愛を受けるにふさわしいと思っています。
一族の運命を背負う境遇からも、許せない気持ちでした。

帝の立場からすると、まず高い家柄の女御たちを大事にして、バランスよく妃たちを愛することが求められます。
政治を安定させるためにも大切なことです。

ところが、桐壺帝は桐壺の更衣ばかり寵愛し、更衣が第二皇子(光源氏)を産んでからは、さらに母子を厚遇します。
弘徽殿は自分が産んだ第一皇子ではなく、第二皇子が東宮(皇太子)になるのでは、と不安を覚えました。

帝に直接苦言を呈しても、状況が変わる様子はありません。
不満はいっそう桐壺の更衣に向いたことでしょう。
弘徽殿は、桐壺の更衣をいじめる女性たちの中心になっていったのでした。

息子が東宮になった安心もつかの間

その後、桐壺の更衣が亡くなり、しばらくして弘徽殿の子である第一皇子が東宮(皇太子)に決定しました。
弘徽殿はひと安心します。

ところが、そのあとで桐壺の更衣にそっくりな藤壺が桐壺帝の妃になりました。
藤壺は帝の愛情を一身に受けており、弘徽殿は不愉快に思うものの、先帝の娘で身分の高い藤壺には何も言えません。

藤壺がくるまでの詳しい経緯などは、こちらの記事で紹介しています。

また、成長してきた光の君(光源氏)が藤壺への好意を素直に見せているのを知ると、桐壺の更衣への憎しみがぶり返してくるのでした。

弘徽殿の「お局様的行動」2選

弘徽殿は、気に食わないことに対してハッキリ態度に出す女性です。
それは、藤壺や光源氏に対しても同じでした。

弘徽殿がどのように振舞っていたのか、よくわかる場面を見ていきましょう。

➀藤壺を呪う言葉を言いふらす

藤壺が嫁いできて10年が経った頃、彼女は男の子を出産します。
本当は12月の出産予定でしたが、正月も過ぎ、2月になってようやく誕生したのです。

この間、弘徽殿は藤壺を呪う言葉を言いふらしていました。
その内容が藤壺の耳にも入ったのです。

藤壺は出産にあたり心身が弱っていました。
ところが、弘徽殿の言葉を聞いて、「ここで本当に死んだりしたら、とんだ笑いものになる」と、かえって気を強く持ち、心身を回復するのでした。

➁光源氏を見て嫌味を言う

ある紅葉の美しい時季、桐壺帝が宮中で舞楽の予行演習を開催しました。
そこで、18歳の光源氏がライバルの頭中将と二人で「青海波(せいがいは)」という演目を舞います。

源氏の舞いや詩句の朗唱はあまりにも素晴らしく、皆が感動の涙を流しました。
いつもよりさらに光り輝く源氏を見ていると、弘徽殿は実に面白くありません。

何か言わずにはいられなかったのでしょう。
「あまりにも美しくて、神隠しにされてしまいそうだわ。おお、恐ろしい」とあからさまな嫌味を口にします。

いかにも「お局様」な振る舞いをしてしまうのでした。

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見方が変わる?弘徽殿の3つの特徴

桐壺の更衣をいじめ、藤壺や光源氏にもきつい態度をとる弘徽殿。
源氏物語の読者の間では「敵」という印象の強い彼女も、よくよく見ていくと自分なりの正義観を持って行動していることがわかります。

弘徽殿の特徴を3点ご紹介しましょう。

➀息子思いな一面

藤壺が出産したあと桐壺帝は譲位し、弘徽殿の子である朱雀帝が即位します。
朱雀帝と、弘徽殿の妹・朧月夜は結婚するはずでした。
しかし、彼女が光源氏と恋人同士であることが発覚し、結婚の話はなくなってしまったのです。

朧月夜は発覚後も変わらず光源氏に思いを寄せており、父親の右大臣は結婚させてもいいのではないかと考えますが、弘徽殿にとっては腹立たしいことでした。
結局、光源氏との結婚の話は実現しなかったものの、のちに光源氏と朧月夜は密会騒動を引き起こします。

密会騒動の詳細についてはこちらの記事をご覧ください。

光源氏が夜な夜な右大臣邸に忍び込んでいたことを知った弘徽殿は激怒します。

「昔から皆、息子の朱雀帝をばかにしている。辞任した左大臣も娘・葵の上を息子に嫁がせないで、源氏にとっておいた。妹の朧月夜も帝に入内させる心づもりだったのに、源氏と恥さらしなことになった。それで誰が源氏を悪い、と責めたでしょうか。みながみな、源氏の味方だった」

【原文】
昔より皆人思い貶<おと>しきこえて、致仕<ちぢ>の大臣<おとど>も、またなくかしずくひとつ女<むすめ>を、兄<このかみ>の坊にておわするにはたてまつらで、弟の源氏にていときなきが元服の副臥<そいぶし>にとり分き、またこの君をも宮仕えにと心ざしてはべりしに、おこがましきありさまなりしを、誰も誰もあやしとやはおほしたりし。
皆かの御方にこそ御心寄せはべるめりし。

朱雀帝と結婚するはずだった葵の上も、朧月夜も、結果的に光源氏と結ばれました。
弘徽殿には、息子をないがしろにされたのが許せなかったのでしょう。

これまでも、桐壺の更衣や藤壺が溺愛されればされるほど、光源氏が評価されればされるほど、わが子の立場がなくなるのではと心配だったはずです。
言動は激しくても、息子を守るため弘徽殿も必死だったのかもしれません。

➁理知的で的を射た考え方

弘徽殿は感情で動く女性というイメージがあるものの、実際には理知的で、的を射た考え方をしていました。

光源氏が密会騒動を引き起こしたとき、弘徽殿はチャンスとばかりに働きかけて、光源氏を無位無官にしてしまいます。

実は光源氏はこれまで、父帝の妃(藤壺)との密通や斎院(朝顔)に恋慕を訴えるなど、明らかになればただでは済まないことを重ねてきました。
世間には知られていないこともありますが、たとえ知っていることでも、世間は彼を大目に見てきたのです。

弘徽殿には、「今度こそ私だけは源氏を許すまい」という正義感もあったでしょう。

その後、須磨(兵庫県)へ移った光源氏には、親しく交際のあった大貴族たちや兄弟からの手紙が届いていました。
互いに漢詩を作って送り合った内容に関しても、源氏は世間から賞賛されます。

それを耳にした弘徽殿は厳しく言いました。

「朝廷から罰せられた者は、気ままに日々の食事もできないもの。それなのに源氏は風流な家に住み、世の中を悪く言っている。
また、そのようなものの機嫌をとろうとする者がいる!」

言い方はきつくても、弘徽殿はまったく間違ったことを言っていません。
皆は弘徽殿を恐れ、源氏へ手紙を送らなくなったのでした。

******

また、このようなこともありました。

光源氏が須磨へ移った翌年の3月、雷が鳴り響き雨風の騒がしい夜、朱雀帝の夢に父・桐壺院があらわれたのです。
朱雀帝は父に睨まれ、光源氏のことで意見されました。

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源氏を須磨に追いやったままだからかと不安になり、朱雀帝は源氏を呼び戻そうかと弘徽殿に相談するも、彼女はいたって冷静でした。

「雨が降って空が荒れる夜は、気に病む気持ちからそんな夢を見るのです。
慌ててはいけません」


【原文】
「雨など降り、空乱れたる夜は、思いなしなることはさぞはべる。
軽々しきように、おぼしおどろくまじきこと」

当時、夢に出たことには大きな意味があると考えるのが一般的でした。
そんな時代に論理的なものの見方をするのは珍しいことだったでしょう。

こういったことからも、彼女が冷静に物事を見ていたことがわかります。

➂男性を圧倒する強さ

そして弘徽殿の特徴でなんといっても欠かせないのは、彼女のパワフルさです。

平安時代といえば、ジェンダー平等が叫ばれる現代とは違い、男性優位が当たり前の社会でした。
そんな時代にあって、弘徽殿は男性たちと堂々と対峙しています。

光源氏が須磨へ行ってからというもの、朱雀帝は眼を患い、弘徽殿の父・太政大臣(右大臣)も亡くなってしまいます。
さらには弘徽殿自身も体調を崩しました。

朱雀帝は光源氏を都に呼び戻し元の位に就かせた方がよいのではないかと考え、弘徽殿に話しますが、彼女は厳しく諫めます。

「あまりに軽率なこと。罪を恐れて都から去った人間を3年もしないで許すなど…」

また、弘徽殿は、桐壺帝が桐壺の更衣一人を寵愛していた時も、直接不満を伝えていました。
息子や夫とはいえ、相手はもっとも位の高い帝です。
そんな相手にも、まったく物怖じすることなく意見を伝えています。

光源氏と朧月夜の密会が発覚した時には、最初に目撃した右大臣が娘・弘徽殿に事の次第を伝えました。
並々ならぬ怒りをあらわにする弘徽殿を見て、右大臣はかえって伝えたことを後悔したほどです。

大臣である父もたじたじになるほどの強さを持った女性が弘徽殿でした。

光源氏と立場が逆転

一時は光源氏を都から追いやり、思うままに世の中を動かしていた弘徽殿。
しかし、朱雀帝が次々とやって来る不幸に耐えられなくなり、光源氏を都へ呼び戻してしまいます。

更に朱雀帝は、帝の位を東宮に譲るのです。
朱雀帝はいろいろ考えがあって決断したわけですが、母の弘徽殿には何も伝えていなかったのでしょう。弘徽殿は慌てふためきます。

そのまま藤壺の産んだ冷泉帝の世になり、弘徽殿はまったく面白くありません。
しかも、光源氏は何かにつけて弘徽殿に完璧に仕え、好意的に振舞うのです。
彼女はかえっていたたまれない思いでした。

嬉しさと嫉妬がせめぎ合う対面

数年の月日が流れたある夜、冷泉帝が光源氏を伴って弘徽殿を見舞いに来ました。
弘徽殿は、帝が来たことに大喜びで御簾越しに対面します。

藤壺は37歳で亡くなっていたので、光源氏は藤壺と比べて弘徽殿が長く生きていることを悔しく思いました。
弘徽殿は涙を流して言います。

「こんなに年老い、何もかも忘れてしまいました。おそれ多くもこうしていらしてくださり、亡き桐壺院を思い出さずにはいられません」

冷泉帝は、「頼るべき人々に次々と先立たれ、悲しみに暮れておりましたが、今日お目にかかって心が晴れました。また参ります」と言います。
その後二人は、大勢の者とあわただしく帰っていきました。

その賑やかさに弘徽殿は嫉妬し、心穏やかではいられません。
「光源氏は昔をどんなふうに思い出しているだろう。結局天下を治める光源氏の、過去の行いの結果はどうにもできなかった」と悔いるのでした。

光源氏との関係において不満な結果に終わった弘徽殿は、結果的に長生きしました。
不満はありつつも、息子・朱雀院に支えられ、落ち着いた晩年を過ごしたことでしょう。

まとめ:男性優位の社会でも負けない弘徽殿

弘徽殿は、悪女と言われつつも、どこか味のあるキャラクターです。
源氏物語では主人公・光源氏の敵として描かれているため、怖くて厄介な印象を持っている人も多いかもしれません。

しかし、彼女がもしも自分の味方だったらどうでしょうか。
これほど心強い相手もいないのではないかと感じます。

男性たちを圧倒し、冷静に物事を捉える力のあった弘徽殿は、現代の女性経営者や政治家さながらの風格があるようにも思います。
男性優位の時代において、他の女性とは一線を画す強さを持った女性が弘徽殿だったと言えるでしょう。

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ここまでは、光源氏が存命の、第2部までの登場人物たちを紹介してきました。
次回からは、光源氏の息子・孫世代が主人公となる第3部のヒロインを紹介します。

最初に登場するのは、大君(おおいぎみ)です。
彼女は、光源氏の息子・薫(かおる)と出逢い、惹かれあっていくのですが、決して薫を受け入れようとしませんでした。

それはいったいなぜだったのでしょうか。
次の記事で解説したいと思います。

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