古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ
12月14日は、赤穂浪士(あこうろうし)討ち入りの日です。
「主君の仇(あだ)を討つ」と誓った大石内蔵助(おおいしくらのすけ)はじめ47人の武士たちが、困難を乗り越えて吉良(きら)邸へ討ち入り、上野介(こうずけのすけ)の首を取ったのです。この討ち入り成功のニュースは、たちまち江戸中に広がり、大きな反響を巻き起こしました。
300年以上も前の事件ですが、今でもドラマの「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」のクライマックスとして描かれています。
はたして吉良上野介は、殺されてもしかたのない悪人だったのでしょうか。今回の『歎異抄』の理解を深める旅は、吉良の屋敷跡(東京都墨田区両国・すみだくりょうごく)を訪ねて、この謎に迫ります。木村耕一さん、よろしくお願いします。
(古典 編集チーム)
「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします
相撲の街、両国に、赤穂浪士討ち入りの跡地
東京駅からJRで両国駅へ向かいます。西口の改札内に、武蔵丸、白鵬などの力士の巨大な優勝額が飾られていました。
──うわっ、大きくて迫力があります。すぐ近くには国技館がありますね。
はい、両国は、相撲(すもう)の街なのです。
吉良邸跡は、JRの線路をはさんで国技館の反対側にあります。駅の東口を出ると、正面に「横綱横丁」と書かれた通りがありました。
横綱横丁の商店街を通り抜けて国道14号線に出ると、
「芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)成育の地」
と記された解説板が立っています。
大正時代の文豪・芥川龍之介は、この地で18歳まで暮らしていたのです。彼が通っていた両国小学校のそばには、
「芥川龍之介 文学碑」
が建てられており、『杜子春(とししゅん)』の一節が刻まれていました。
──相撲に文学、とても文化的な香りのする街ですね。
吉良上野介の屋敷跡は、この両国小学校の近くにあります。
吉良邸はとても広大で、東西約132メートル、南北約62メートルもあったといわれています。
──それだけ、吉良には力があったのですね。
現在、「吉良邸跡」は、小さな公園の形で保存されています。当時の屋敷の、ほんの一部の面積にすぎません。
周囲を歩いてみると、両国小学校側の通りに面したビルの前に、
「忠臣蔵 吉良邸正門跡」
と書かれた解説板が、ひっそりと立っていました。
次のように記されています。
この辺りに吉良邸正門がありました。
元禄十五年(一七〇二)十二月十四日、寅の刻(午前四時)の七つ鐘を聞いた後、正門から大石内蔵助以下二十三名が用意した梯子で邸内に侵入して、内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入しました。
赤穂浪士は正門、裏門の二手に分かれて討ち入り、大声を上げながら、百人以上の大勢が討ち入ったように装いました。これに動揺した吉良家家臣の多くが外に飛び出そうとしました。しかし、弓の名手、早水藤左衛門らが侍長屋の戸板に向かって次々と矢を射掛けて威嚇し、出口を固められたため、飛び出すこともできず戦闘不能になったといわれています。 墨田区
ここでどのような戦いがあったのかを、よく表しています。
吉良邸には、上野介を守るために100人以上の家来がいたといわれています。しかし、大石内蔵助たちが大声をあげて乱入したので、実数の何倍もの兵が攻めてきたと勘違いし、ひるんだのかもしれません。
次に、吉良邸の裏門跡がどこにあるのか、探してみました。この辺りには、住宅やビルが建ち並んでいます。西へ100メートル以上歩いたところにあるマンションのそばに、
「忠臣蔵 吉良邸裏門跡」
と書かれた解説板がありました。注意して探さないと目に入らないくらいです。
──とても広い屋敷だったと分かります。
次のように記されていました。
吉良邸の裏門はこの辺りにありました。
赤穂浪士討ち入りの際、裏門からは大石主税以下二十四名が門を叩き壊して侵入、寝込みを襲われ半睡状態に近い吉良家の家臣を次々と斬り伏せました。吉良家にも何人か勇士がいましたが、寝巻き姿では鎖帷子を着込み完全武装の赤穂浪士には到底敵わなかったようです。
広大な屋敷の中で一時間余り続いた討ち入りは、壮絶なものでしたが、吉良家側の死傷者が三十八名だったのに対し、赤穂浪士側は二名が軽い傷を負っただけでした。 墨田区
裏門から突撃する部隊の大将は、大石内蔵助の嫡男・主税(ちから。15歳)でした。
ドラマでは、華々しい戦いが繰り広げられますが、実際には、周到な準備をして討ち入った赤穂側と、不意を襲われた吉良側の差は歴然としており、一方的な殺戮(さつりく)であったことが死傷者の数に表れています。
吉良上野介は寝室から逃れて物置部屋に隠れていたところを発見され、討ち取られました。
赤穂浪士は、「主君の仇を討つ」という目的を果たしましたが、幕府の命によって、翌元禄(げんろく)16年(1703)2月4日に切腹に処せられています。
──両家ともに、悲しい結末だと思います。
理不尽で、身勝手なことが多い世の中
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城内で吉良上野介を斬ってから、ここまでの顛末を総称して、歴史家は「忠臣蔵」とは言わず、「赤穂事件」と呼んでいます。
なぜならば、「忠臣蔵」とは、この事件を素材として作り上げられた芝居の題名であり、事実でないものが多いからです。
──「忠臣蔵」が、歌舞伎やドラマの芝居の題名だったとは、驚きました。
例えば、吉良上野介は、浅野内匠頭の妻・阿久里(あぐり)に恋をしていたと描いている映画があります。しかし、吉良上野介は阿久里にふられてしまいます。その腹いせに、夫である浅野内匠頭に意地悪を始めたため、江戸城で斬りつけられたというストーリーです。これは、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の設定を、そのまま使ったものでした。
現実には、他家の者が大名の妻と顔を合わせる機会はほとんどありませんので、あくまで芝居を盛り上げるための創作だったのです。
──作り話なのですね。
47人の武士が、集団で1人の老人を襲って惨殺する芝居を作るには、その老人を、「抹殺すべき悪人」にしないと、観客も納得しません。だから「忠臣蔵」で描かれる吉良上野介は、好色で、強欲で、威張り散らす人物として描かれてきました。
それは、芝居やドラマの中の人物像であったはずが、そのまま吉良上野介の評価となって定着してしまったのです。
──なんだか、吉良上野介がかわいそうに思えてきました。
実際の吉良上野介は、優れた人物であったといわれています。
幕府の主要な儀式では、重要な役割を果たし、高く評価されています。三河(みかわ)にある領地(現在の愛知県西尾市吉良町)では、新田の開拓、塩業の発展などに力を尽くし、名君として親しまれていました。
しかし、吉良上野介に、全く落ち度がなかったはずがありません。
浅野内匠頭が次のように言ったのを聞いたという記録があります。
「人前で、恥をかかされたので、このままでは武士道が廃ると考え、吉良を斬ろうとした」
──やはり、ここまでの事件になった原因はあったのですね。
はい。おそらく浅野内匠頭は、天皇、上皇の使いを接待する係として何かミスをしたのでしょう。
それを、総責任者の吉良上野介が、若輩者を叱るように人前で注意したのではないでしょうか。
その言葉遣いに問題があったのかもしれません。それによって、腹を立てた浅野内匠頭に刀で斬られて負傷し、その1年半後に、自宅に乱入した赤穂浪士によって殺害されたのです。
実に悲惨な結果を招いてしまいました。
しかも、芝居の「忠臣蔵」が大当たりしたため、吉良上野介は300年以上たった今も、日本中の人々から憎まれ、蔑まれているのです。
──吉良としては、こんなに大きな結果になるとは夢にも思わなかったでしょう。
江戸城での刃傷(にんじょう)事件の後、吉良上野介は家督を孫の左兵衛(さひょうえ)に譲って隠居しました。左兵衛は16歳で吉良家の当主となったのです。
赤穂浪士47人が吉良邸に乱入した時、左兵衛は長刀(なぎなた)を持って奮戦しましたが、重傷を負って倒れてしまいました。気がついた時には、すでに祖父は殺されていたのです。
幕府は被害者であるはずの吉良左兵衛を、「乱入を防げなかったことは不届きである」として、信濃(しなの。現在の長野県)へ流罪にしました。
──江戸城で、浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた時は、吉良は全くおとがめなしで、浅野は即切腹でした。事件を防げなかった江戸城内の責任は問われたのでしょうか……。
世間からも左兵衛は、「祖父が討たれながら、おめおめと生き恥をさらす卑怯者(ひきょうもの)」とあざけられていたといいます。
──重傷を負うほど奮戦したのに……。
幕府も、世の人々も、理不尽で、身勝手なことばかり言っていると、左兵衛は悔しい思いをしていたでしょう。
左兵衛は、流罪地である信州高島城で、3年後に亡くなりました。21歳でした。これによって、吉良家も断絶してしまいます。
まさに、
「万(よろず)のこと皆もって、そらごと・たわごと・真実(まこと)あることなし(歎異抄)」
であることを、歴史が証明しているようです。
──木村耕一さん、ありがとうございました。歴史を学ぶと、世の中の理不尽さ、人間の身勝手さを知らされ、『歎異抄』の一文が、より真実味をもって迫ってくるようです。
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