この間、昼食に入ったお店で、色とりどりの観賞魚たちが泳ぐ水槽が目に飛び込んできました。
「可愛いね」と話しながら眺めていると、そこへ運ばれてきた日替わりランチが、なんと焼き魚……。
人間の身勝手さについて、ふと考えさせられた出来事でした。
日頃感じる素朴なギモンについて、700年前に書かれた『歎異抄』を通じて、少し深めに掘り下げるマンガ連載、『こども歎異抄(たんにしょう)』。
今回は、誰もが一度は考えたことがある、「食べる=動物の命を頂くこと」についてです。
(1万年堂ライフ編集部)
トンカツはおいしい。…でも、逆の立場なら?
好きな食べ物は? と聞かれたら、何と答えるでしょう。
焼肉にお寿司、トンカツ、唐揚げ、ハンバーグ……。
私たちは日々、牛や豚、鶏、魚といった生き物の肉を食べて生きています。
スーパーに肉や魚が並んでいると、できるだけ安く、おいしいものを買おうと、売り場の前で品定めに熱が入ることも。
ところが動物の立場になって考えてみると、生きていくために必要とはいえ、おそろしいことをしているのだと気づかされます。
人間を食べる「鬼」や「巨人」は、こわいけれど……
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もし自分が食べられる立場だったら、どう思うかな?
最近は、鬼や巨人といった力の強い生き物が人間を襲うマンガが、大人にも子どもにも大人気です。
一緒に過ごしている家族が、突然、何者かにおそわれ、食べられてしまう……。
自分もいつ殺されるか、食べ物として捕まえられるか分からない。
こんなことがもし、現実に起きたら本当にこわいですよね。
今は、人間が食物連鎖の頂点に立っているので安心していますが、それも、いつどうなるかは分かりません。
毎日、スーパーに肉が並び、私たちが料理を口にしているということは、直接手は下さなくても、それだけ多くの生命をうばっていることになります。
肉や魚を一切口にしないと決め、実行している人もいますが、それでも生き物を殺すことからは、完全には離れられません。
野菜や穀物を育てるには、多くの虫や生き物が犠牲になっています。
動物の目線で見てみると、ニコニコと食事を楽しんでいる人間こそが、おそろしい「鬼」のような姿で映っているのかもしれません。
浦島太郎に隠された、本当の教訓って?
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「生き物の命を大切に」と教えることは大事!
でも、その一方で……。
浦島太郎(うらしまたろう)は、誰もが知る日本のおとぎ話です。
ある日、漁師の浦島太郎が、漁をしに浜辺に出かけると、一匹の亀が子どもたちにいじめられています。
「生き物は大切にしないといけないよ」と教えても、いっこうにやめようとしません。そこで彼は亀を買い取り、沖の方へと放してやりました。
数日後、舟を浮かべて漁をしているところへ助けた亀があらわれて、乙姫様のいる龍宮城へと招待されます。そこで山海の珍味でもてなされ、思わぬ楽しみを味わったという話です。
この話から、「皆さんも、浦島太郎のように生き物を可愛がる、心の優しい人になりなさい」と教わったと思います。
ところが、この物語にはひとつ矛盾があります。それは、浦島太郎の肩にかつがれていた、一本の魚釣竿です。
では、浦島太郎は本当に生き物をかわいがる、心の優しい人だったのでしょうか。
カメを助けたことは善いことでしょうが、彼の肩に担がれていたのは魚釣り竿でした。これまでも何十万、何百万もの、魚の命を奪った、これからも奪うであろう魚釣り竿を担いでいる浦島太郎は、果たして生き物をかわいがる心の優しい善人と言えるのだろうか、と疑問を持つ人もあるでしょう。
もちろん、浦島太郎は法律上の犯罪者ではありません。倫理・道徳上では善人といえるでしょう。
ただ、人間の都合とは関係なく真実の人間像を説かれた、ブッダは、罪悪を造らずしては生きていけない人間は正真正銘の悪人だと説かれています。
(『人生の目的』高森顕徹(監修) 高森光晴・大見滋紀(著)より)
物語の中では、亀も魚も同じ命として扱われていますから、もし「生き物の命を大切に」という話なら、まずは、その竿を折ることを説く必要があります。
一方で、何千何万の生命をうばいながら、たまたま一つの生命を助けたからといって、いかにも善人のように教えているのだとしたら、それはどこか「おかしな話」にならないでしょうか。
「仕方がない」=「悪くない」ではない
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食欲がおそろしいのは、それによって悪をつくるからだよ。
浦島太郎の魚釣竿には、彼の生活がかかっていました。
それを折れば、生きてはいけません。
たとえ一つの生命を助けることはできても、幾万の生命をうばわずしては生きていけない。
これは浦島太郎だけのことではありません。実は、私たちすべての人間の姿を表した物語といえるでしょう。
「おいしいものが食べたい、飲みたい」という心を、「欲(食欲)」といって、『煩悩』の一つに数えられます。
欲の心がないと生きていけない一方で、欲によって悪いことをしてしまうところに、『煩悩』のおそろしい本質があります。
私たちは、何かを食べなければ生きてはいけません。
動物の命を奪って生きていると改めて実感したとき、ショックを受けることもあると思います。
そんなとき、どう受け止めれば良いか分からず、「食べなきゃ生きていけないんだから」「考えても仕方がない」と、つい触れないようにしてしまいがちです。
しかし、そういったことを考える感性は、人として生きていくうえで、とても大切だと教えられているのが『歎異抄』です。
人間の真実の姿をごまかさずに見つめてこそ、本当の幸せへの道が開かれるからです。
マンガ『こども歎異抄』とは
子どものころ、ひそかに感じていた、素朴な疑問。
家族や学校の先生に聞いてみても、「まぁそんなものだよ」「考えてもどうしようもない」とごまかされて、モヤモヤした経験はありませんか?
大人になるにつれ、知りたかった気持ちにはフタをして、目の前のことに追われる毎日。
「心とは?」「人間とは?」「生きるってどういうこと?」
今さら人に聞けなくなってしまった人生のギモンを、日本の文学や哲学、倫理学の糧とされてきた『歎異抄(たんにしょう)』を通じて、少し深めに掘り下げるマンガ連載が、『こども歎異抄』です。
『歎異抄』について、もっと知りたい方に
今、読むべき話題のロングセラー『歎異抄をひらく』に、喜びの声が続々と届いています。
『歎異抄』解説の決定版として、人気の本書に寄せられた、感想の一部をご紹介します。
●この本に出会うことができて本当によかった、というのが感想です。とても分かりやすい解説、きれいな写真、素晴らしい毛筆書きの原文、感動しました。何度も読み返しております。感謝しています。(65歳・女性・自由業)
●意訳と解説があるため、興味深く読むことができました。これまで難解と思い読まずにいた『歎異抄』でしたが、その内容の深さに驚いています。(50歳・男性・医療従事)
●内容がすごく分かりやすく書いてあることに感銘しました。子や孫に、友人にも人生の中で、「生きることの指針」として伝えることができると感じました。(69歳・女性・主婦)
(『歎異抄をひらく』の読者アンケートより)
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