古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ
2月9日は、夏目漱石(なつめそうせき)の誕生日。『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『こころ』など、今も愛読されている明治時代の文豪ですね。
そんな漱石が、鎌倉時代の親鸞聖人(しんらんしょうにん)に、「大革命」を断行した人という賛辞を贈っています。
漱石が感嘆した大革命とは何だったのでしょうか。木村耕一さんにお聞きしました。
(古典 編集チーム)
「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします
公然と結婚された親鸞聖人
夏目漱石が「大革命」と驚いた事件は、親鸞聖人31歳の時に起きました。
公然と結婚されたのです。
──結婚? 寺の人も結婚するのは当たり前だと思いますが。
はい、そのように思う人が多いと思います。
当時は、天台宗(てんだいしゅう)や真言宗(しんごんしゅう)などの旧仏教は、僧侶が「肉食妻帯(にくじきさいたい)」することを固く禁じていたのです。
──肉食妻帯とは、どういうことですか?
「肉食妻帯」とは、動物の肉を食べたり、結婚したりすることです。この戒めを破った者は、「破戒僧(はかいそう)」として仏教界から追放されたのでした。
一般の人も、「寺の僧侶が結婚するなんて、ありえない!」と思っていた時代です。それが常識だったのです。
──そんな時代があったのですね。
親鸞聖人が結婚されたのは、「女性への煩悩(ぼんのう)に打ちかつことができなかったからだ」と言う人がいます。禁断の恋物語として小説に書く作家もいます。
しかし、親鸞聖人の肉食妻帯の断行は、そんな個人的な問題ではなかったのです。苦しんで生きている人々、そして未来の私たちのためだったのです。
──未来の私たちのため……。それは、どういうことでしょうか。知りたいです。
その重大な意味を感じ取ったのが夏目漱石でした。
大正2年12月、漱石は、母校である第一高等学校(東京大学の前身)で行った講演で、次のように述べています。
坊さんというものは肉食妻帯をしない主義であります。それを真宗(しんしゅう)の方では、ずっと昔から肉を食った、女房を持っている。これはまあ思想上の大革命でしょう。親鸞上人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢(こんてい)のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。
(『漱石文明論集』岩波書店刊)
すべての人が、平等に救われる教え
夏目漱石は、親鸞聖人の肉食妻帯を、「思想上の大革命」「大改革」と位置づけています。
──漱石が驚いた「思想上の大革命」とは、どういうことでしょうか?
親鸞聖人は、『歎異抄』に、
「弥陀(みだ)の本願には老少善悪(ろうしょうぜんあく)の人をえらばず」
とおっしゃっています。
「弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、一切差別はない」
という大宣言です。
ここが、それまでの天台宗、真言宗などの旧仏教と、まるっきり違うところです。
天台宗の比叡山(ひえいざん)は、女人禁制(にょにんきんぜい)でした。つまり女性は救いの対象から外されていたのです。
しかも、山へ入って難しい学問や厳しい修行のできる人でなければ仏教を求めることができませんでした。文字の読めない人、体の弱い人は除外されていたのです。
──特別な人でなければ、仏法を求めることさえもできなかったのですね。
ところが、弥陀の救いには、男女の差別はありません。能力の差別もありません。完全に平等なのです。
結婚しているとかいないとか、肉を食べているとかいないとか、そんなことは弥陀の救いには関係ないのです。
貧富や身分による格差も、全くないのです。
──完全に平等……。それは、差別の多い現代でも知りたい教えです。
はい。ここに、誰でも、平等に救われる教えがあるのに、まだまだ世の中に伝わっていないことを嘆かれた親鸞聖人は、一大決心をされます。
弥陀の本願を明らかにするために、自ら公然と仏教界のタブーを破壊し、釈迦(しゃか)の教えを明らかにしようとされたのでした。それが、法然上人(ほうねんしょうにん)の勧めもあって断行された肉食妻帯だったのです。
旅立ちの鏡池
──その後、親鸞聖人は大変な迫害を受けられたとお聞きします。
弥陀の本願を明らかにするために肉食妻帯を断行された親鸞聖人に対して、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)や奈良の興福寺(こうふくじ)から、激しい非難が巻き起こりました。ついには、時の権力者から流刑を言い渡されたのでした。
35歳の親鸞聖人は、流罪人の汚名を着せられ、妻や子供と別れて、遠く越後(現在の新潟県)へ旅立たれたのです。
越後へ旅立ちの足跡が、お住まいだった岡崎草庵跡(おかざきそうあんあと)に残されているそうですので、行ってみましょう。
──よろしくお願いします。
岡崎草庵跡は、京都市左京区の丸太町通(まるたまちどおり)に面しており、現在は、真宗大谷派の岡崎別院になっていました。門前には、「親鸞聖人御草庵遺跡」と刻まれた大きな石碑が建っています。
境内に入ると、本堂の西側に、石の柵で囲まれた小さな池があります。そばの立て札には、次のように記されていました。
鏡池(姿見の池)
宗祖親鸞聖人が承元法難の折り
この池に自らの姿を映され
越後に旅立たれたといわれる
──ここから、越後に旅立たれたのですね。どのようなご心境だったのでしょうか。想像も及びません……。
その当時、僧侶が肉食妻帯をすれば、迫害を受けることは、火を見るよりも明らかでした。
それなのに、火の中に飛び込むようなことを、あえてなされた親鸞聖人。
そのお気持ちを、主著『教行信証』に、次のように述べておられます。
(原文)
ただ、仏恩(ぶっとん)の深きことを念じて、人倫の嘲(あざけり)を恥じず
(意訳)
どうして、こんな幸せに救い摂られたのか。よろこばずにおれない。感謝せずにいられない。ますます如来の深き慈愛を知らされて、どんなに、けなされ罵られようとも、前進せずにおられない。
──驚きました。迫害の渦中なのに、感謝と喜びにあふれて、前進される強さはどこからくるのでしょうか。漱石の「非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢のある思想」の言葉のとおりだと感じました。親鸞聖人と弟子の対話が書き残されている古典『歎異抄』も、読んでみたいと思います。
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