4月11日は、戦争と核兵器廃止を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」が出された日です。第二次世界大戦から十年目のことでした。
イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに、宣言に署名したアインシュタインは、その一週間後、世界中の人々に惜しまれながらこの世を去りました。
人を幸せにするのが科学や哲学です。
その哲学の中に、日本独自のものがあるのはご存知でしょうか。
代表する京都の哲学者たちが愛読したのが、『歎異抄』でした。
彼らが思索にふけりながら歩いた、銀閣寺から琵琶湖疎水に沿って続く約2キロの散歩道は、「哲学の道」として知られています。
ちょうど今の季節は桜が咲き誇り、ロマンチックな桜の花のトンネルとなっています。
そんな光景を思い浮かべながら、『歎異抄』の魅力を専門家からお聞きしてみましょう。
(編集部より)
時を超え届けられた、謎に満ちた美文
日本の古典の名著と言えば、『万葉集』や『源氏物語』を挙げる方もあると思います。
しかし、あらゆる分野の知識人に語られ、最も多くの解説書が出版された古典で、『歎異抄』の右に出るものはないでしょう。
日本の3大随筆『方丈記』『徒然草』『枕草子』に、勝るとも劣らぬ格調高い名文として、多くの日本人に親しまれてきました。歎異抄は鎌倉時代の後期に著されました。貴族や知識階級のものであった仏教を、身分や性別に関係なく万人にひらかれた、親鸞聖人の生々しいお言葉が記されています。
「 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の1文などは、日本史や倫理学の授業などで印象深く耳に残っている方も少なくないと思われます。
流れるような文体や、古典の叙情的美しさにとどまらず、善悪を超越した深い人間観、死生観を訴えているところに、鮮烈な特徴があるといえましょう。
親鸞聖人の教えを正しく知るには、その教えのすべてが記されている主著『教行信証』6巻を読む必要があります。しかし、6巻というボリュームと専門性の高さから、短編で名文の歎異抄が、明治時代に紹介されるようになりました。
教行信証が漢字ばかりで著されているのに対して、歎異抄が仮名まじりで記されていることも親しみやすい要因といえるでしょう。
〝親鸞思想〟の格好の入門書として、爆発的に愛読者が現れ、仏教学者はもちろん、作家や哲学者、思想家に至るまで、その美しく、かつ常識を覆すような衝撃的な文章に魅了されていきました。
無人島に一冊の本を持っていくとしたら歎異抄だ、と言ったのは、作家の司馬遼太郎でした。次のように語っています。
「死んだらどうなるかが、わかりませんでした。
人に聞いてもよくわかりません。
仕方がないので本屋に行きまして、親鸞聖人の話を弟子がまとめた『歎異抄』を買いました。(中略)読んでみると真実のにおいがするのですね。
人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思うことがあります。
『歎異抄』にはそれがありませんでした※1」「13世紀の文章の最大の収穫の一つは、親鸞の『歎異抄』にちがいない※2」
(作家・司馬遼太郎)
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい。(中略)
文章も日本文として実に名文だ。国宝と云っていい※3」
(劇作家・倉田百三)
西洋哲学を踏まえたうえで、独自の思想を築き、日本を代表する哲学者になった西田幾多郎も、歎異抄に強く引かれていた一人でした。
彼の弟子たちは、先生は「東京・横浜が空襲に遭った際に、一切が焼け失せても歎異抄が残ればよい」と語った、と伝えています。
西田幾多郎に師事して京都帝国大学で学んだ哲学者、三木清も、万巻の中から、たった一冊を選ぶとしたら歎異抄をとる、と語ったといわれています。
文芸や戯曲にも、こぞって歎異抄が取り上げられ、その思想は人文学のみならず、医学や科学の分野にまで波及するほどの、一大ベストセラーとなっていきました。
室町時代に封印~「理解の浅い人には読ませないように」
これだけ有名な歎異抄ですが、著者の名は記されていません。
今日は親鸞聖人の門弟の唯円というのが定説になっています。
たぐいまれな文章力と、仏教の深い学識の持ち主だったことは容易に推察されます。
歎異抄は18章の短文からなります。
最初の10章は「ある時、親鸞聖人はこう仰った」と、親鸞聖人のお言葉を記述されたものです。
胸を揺さぶるような名文は、その場の空気が伝わってくるかのような、臨場感にあふれています。
11章から18章までは、親鸞聖人の没後、「オレの言うのが、本当の親鸞さまの教えだ」と、親鸞聖人の教えと異なることを言いふらす者を、見過ごせなかった唯円が、親鸞聖人のお言葉を明示して、泣く泣く筆をとって正したものです。
その点からは、11章以降が歎異抄の「異なるを歎く」部分といえますが、今日はほとんど問題にならないことなので、親鸞聖人のお言葉をそのまま記された10章までが、歎異抄の真髄といえましょう。
親鸞聖人の正しい教えを鮮明にするために書き遺された歎異抄でしたが、皮肉にも後世、その教えを誤解・曲解させる要因ともなりました。
それは逆説的・衝撃的表現の多い歎異抄なので、親鸞聖人の教えを正しく理解できなかった人たちが、自分勝手な解釈をしたからに他なりません。
約500年前、親鸞聖人の教えを日本全国に広く伝えた蓮如上人は、歎異抄の、その危うさをいち早く感知され「仏教の理解の浅い人には、読ませないように」と封印されました。
それが明治時代に解放されるや、近代化に戸惑う青年たちが続々と歎異抄に魅了されていきました。
大正時代の一大ブームを経て戦争に突入し、死を身近に感じた昭和の人々にとって、心の拠り所となっていったのです。
明治時代から現在までに出版された歎異抄と名のつく書籍は、500冊にも上るといわれています。
《出典》
※1 司馬遼太郎『司馬遼太郎全講演』1、朝日新聞社、2000年
※2 司馬遼太郎「十三世紀の文章語」(『この国のかたち』2、文藝春秋、1990年)
※3 倉田百三『一枚起請文・歎異鈔』大東出版社、1934年
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「無人島に、1冊もっていくなら『歎異抄』」といわれ、多くの人に愛読されてきました。
本書には、『歎異抄』の分かりやすい現代語訳と詳しい解説が掲載され、『歎異抄』の楽しさ、底知れない深さを学ぶ決定版となっています。
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