【メッセージ】
自分らしさを大切に
フランスのファッションデザイナー。1910年に「CHANEL」の1号店となる帽子店をオープン。その後、店舗を増やし、服、ジュエリー、香水を続々と発表。女性のファッション業界に新しいスタイルを提案した。芸術文化への関心も高く、毎日本を読むほどの読書家だったという一面もある。
エピソード
現代で「CHANEL」といえば、気品あふれる女性のハイブランドというイメージですが、創業者のココ・シャネルが常に求め続けたものは「自分らしさ」でした。
幼少期を孤児院で過ごし、裁縫を学んでいたシャネルは、18歳で服の仕立て屋になります。
身寄りがなかった彼女は、仕事のつながりから繊維業者の息子のお屋敷に居候していました。
そこには、上流階級の貴婦人たちが頻繁に遊びに来ており、どんな美しい服を着ているのかシャネルは興味津々です。
ところが、ファッションを観察するうちに、なにやら違和感を感じます。
どのご婦人も揃いに揃って、コルセットとフリルをあしらった大きなスカートを着ている。シャネルには、彼女たちが男性のプライドを誇示するための着せ替え人形のように見えて仕方がなかったのです。
「女性だって、もっと自分らしさを表現できるファッションがあるはずだわ」
こうした思いから、本業の空き時間で貴婦人にプレゼントするための帽子を作るようになりました。
当時、シャネルのシンプルなデザインはとても斬新で、パリに出した専門店も大変繁盛しました。
成功を修めたシャネルは、洋服作りの挑戦を始めます。
目を付けたのは、男性用下着に使用されていたジャージー生地。下着の素材が取り入れられたのは初めてのことだったので、ファッション業界には大きな衝撃が走ったと言われています。
デザイナーであり、モデルでもある。
ブランドのため、自ら広告の被写体になるなど、ファッションの自由を示し続けたシャネルは、次第に唯一無二の存在となっていきました。
美しい女性の条件とされていた長い髪をバッサリと切ってショートヘアーに。さらに、歴史上初めて女性のパンツルックを確立させたのです。
男性はパンツ、女性はスカートが当然の時代でしたから、これもまた革命的な出来事でした。
しかし、出る杭は打たれるといいましょうか、女性が男性のような格好をすることに対し、男性からは多くの批判が集まりました。
彼らからすれば、シャネルのファッションは「女らしくない」のです。
一方で、動きやすさとおしゃれさを兼ね備えた新しいスタイルは、女性の間でたちまち大人気になりました。
これは、シャネルが活躍していた時代に、第一次世界大戦が起きたことも大きく関係しています。
フランスでは、男性が戦っている間に家計を支えるため、軍需工場で働く女性が増えていました。
華美なスタイルよりも、生活に即した服装が求められていたのです。
シャネル以前、女性の服を作るデザイナーはほとんどが男性でした。肩身の狭い思いをしたことは想像にかたくありません。
それにもかかわらず、シャネルは批判が起きたということは新しいものを創造できたのだ、と自信を深めていく度量すらありました。
女性が着る服を作るなら、男性よりも女性である方が有利に決まっているという強い信念の下、自分の価値観を貫き通したのがココ・シャネルなのです。
「みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。でもそれが私の成功の鍵。みんなと同じ格好をしなかったからよ」
参考文献:
・ライフハックアニメーション『天才はみんな「鈍感」さん ありのままの私を大切にした偉人の話』(KADOKAWA)
・シャネルの創業者、ガブリエル シャネル | CHANEL シャネル
※この記事で使われている画像は、すべてAIによって生成されたイメージ画像です。