日頃、相手の欠点ばかりが目につき、旦那さんにイライラしてしまうことはないでしょうか。
パートナーや職場の上司、友達など、一度相手の欠点が目につくと、そればかりが気になってしまいますね。
特に夫婦生活が長くとなると、出会った頃には分からなかった相手の欠点がたくさん見えてきて、「もう嫌い!」とイライラすることも多くなります。
「どうしてこんな悪いところばかり気にしまうんだろう…?」と、欠点ばかりみてしまう自分が嫌になることもあるかもしれません。
そんなイライラを解消する方法を仏教から学びましょう。
登場人物
真理子
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2人の子どもを持つ、会社勤めの主婦。快活な性格。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」で仏教を勉強中。 |
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智美
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真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。 |
塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。 |
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ねえ、真理子さん。私、最近夫の嫌なところばかり目についてしまって、すごくイライラするんです。それで、ささいなことで、ケンカもしてしまって…。
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そうなんだ。確かにずっと一緒にいると、だんだん欠点や短所ばかりが見えてきちゃうわよね。
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夫は優柔不断なところがあって、旅行とか子供の保険のこととか、大事な事は全部、人任せなんですよ。それで後から文句だけ言われちゃう。「もう少しは仕切ってよ~」って思っちゃいます。
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私の主人にも思い当たることがあるわ。どうしてもイライラしてしまうわよね。そんなときはどうすればいいか、塾長に聞いてみようかしら。
悪人ばかりだとケンカにならない?家庭円満の秘訣
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人の長所や短所について、仏教の観点から話をしますね。
身近な人ほどイヤな部分が見えてしまい、イライラすることはよくあると思います。
奥さんの立場からいえば、
「夫は家のことを何もしてくれない。それどころか靴下は脱ぎっぱなしで、食べた皿も片付けない。子供の相手もしてくれない…もう旦那が嫌い」
と感じ、夫への不満を抱えている人も多いかもしれません。
旦那が嫌いと思ったとき、どうすればそんなイライラ、不満を解消できるのでしょうか。
「光に向かって100の花束」の中に、家庭円満のヒントになるエピソードが紹介されています。
ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」
「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。
どうも皿かお茶碗でも割ったようである。「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。私が悪うございました。お許しください」心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」
A家の主人は感心して帰ったという。
謗るまじ たとえ咎ある 人なりと 我が過ちは それに勝れり
(『新装版 光に向かって100の花束』高森顕徹著 より引用)
「自分は完璧」「自分は正しい」は本当?
「悪人ばかりなのにどうしてケンカが起きないの?」と疑問が起きますが、悪人とは罪を犯す人のことではなく、自己反省の深い人のことをいわれていました。
エピソードの最後に紹介されていた歌にある「咎(とが)」とは、「人から非難されるような欠点」のことです。
相手の欠点を知った場合、「ちょっと考えられない」「いい加減にしてほしい」と思うかもしれません。
しかし冷静に考えてみると、相手の欠点は、私には全くないのでしょうか。
私自身は、全く欠点のない完璧な人間なのでしょうか。
昔から「人の振り見て我が振り直せ」といわれるように、もしかしたら相手の欠点は自分の中にも少なからずあるかもしれません。そのことを相手は姿にかけて教えてくれているのではないでしょうか。
「自分は相手の欠点にも勝る欠点があるのではないか。そうなれば、むしろ許してもらえてるのは私の方かもしれない」と思えれば、今まで他人に向いていた目を自分に向けることができます。
そのような自己反省を勧められているのが、「謗るまじ」の歌なのですね。
このような自己反省を仏教では「禅定(ぜんじょう)」といわれ、大いに勧められています。
心を鎮めて自己の言動を振り返り、相手の欠点は自分も持っている、自分こそ欠点ばかりの悪人なのだと受け止められれば、相手を責める感情もスーッと解けていくのではないでしょうか。
B家のように家庭円満となり、ケンカが起こることもなくなるでしょう。
ただ、自己反省といわれると、「自分ばかりが悪いと思うとツラくなってくる」と思われる人もいます。
しかし自分を必要以上に責めるのは「自己嫌悪」であり、「自己反省」とは違います。
自分を責めて落ち込むのではなく、本当に悪いと思ったところを見つけて改善し、向上していくのが「自己反省」です。
だから他人に対してイライラを感じたときは、自分が向上できるチャンスでもあるのですね。
イライラを抑える!夫の嫌なところが目につくときの対処法2つ
「自分も欠点のある人間、相手に許しもらっている」と受け止めた上で、相手の欠点にはどう対応すればいいのでしょうか。
見方と行動の、2つの面から考えみましょう。
①短所を長所とみる
ある心理学者は、「長所と短所は表裏のようなもの」と言っています。
見方一つで、長所にもなれば短所にもなるということです。
「優柔不断」というのは、反対の意味で言えば、「周りの事が配慮できる優しい人」と言えるかもしれません(自分の意見を曲げない「亭主関白」な主人で苦しむ方もありますので…)。
相手はすぐには変えられませんが、相手に対する「見方」は変えることができます。
②自分の感情を正直に相手に伝える
見方をいくら変えようとしても、やはり人間は感情の生き物なので、「やっぱりムカつく、イライラする」ということはあります。
そんなときは無理に我慢せずに
「私はどうしてもあなたのここが気になってしまうの」
「こんなことをされると、私は悲しくなる」
と、自分の感情を相手に伝えてみましょう。
感情を伝えるときのポイントは、相手を一方的に責めた言い方をしないことです。
「あなたのここがキライ!」
「あなたのこの行動、考えられない!」
などと一方的に責めてしまうと、相手は気分を害してしまい決して態度を改めようとしないでしょう。
相手を責めるのは「私は正しい、相手が悪い」と思いがあるからですね。しかし相手は相手で「私のほうが正しい。悪いのはあなただ」と思っているので、これでは問題が解決しません。
お互いが自分は善人だと思っていては、上記のA家のようにケンカが起こってしまいます。
そこで、相手を非難するのではなく、自分の「つらい」「悲しい」「寂しい」という気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。
「自己反省」ができていれば、相手を責める言葉ではなく「私もできていないところばかりだけど…」という前置きが自然とできるようになるでしょう。
自分の気持ちを伝えれば、相手も「君にそんな思いをさせていたとは…。気づかなくてごめん」となるかもしれません。
もちろん、こんなにうまいくことは稀で、感情を伝えたからといって相手がすぐに欠点を直すとは限らないでしょう。相手には相手の言い分があります。一方的に要求することなく、相手の言い分もよく聞いて、相手の気持ちにも応えていかないといけないですね。
お互いが欠点を認め合い、改める努力をしていけば、人間関係は劇的に改善していくでしょう。
まとめ
- 相手の欠点は自分も持っている、自分こそ欠点ばかりの悪人なのだと受け止められれば、相手を責める感情もスーッと解けていくでしょう。他人にイライラを感じたときは自分を知り、向上できるチャンスです
- 相手の嫌なところも見方一つで、長所にもなれば短所にもなります。短所を長所に置き換えれば、相手への印象も変わるでしょう
- どうしてもガマンならないときは自分の感情を伝えましょう。相手を一方的に責めるのではなく、「自分にも悪い所があるけれど…」と前置きするのがポイントです
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確かに優柔不断な夫の欠点は、自分の中にもあると思います。夫ばかり責められないと反省しました。
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お互い相手の欠点を認めて、少しずつでも改めていって、仲良くやっていきたいわね。