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【仏教入門②】お経は、供養のため?

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    もちろん、偉いお坊さんに長いお経を読んでもらうことで、亡くなった人が極楽にいけるんですよ。

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    いいえ、違います。
    お経は、釈迦が生きている人に、生きている時に本当の幸せになる道を講演された講演録です。

7千冊余りのお経は、釈迦一代の講演録

確かに、普段あまり仏教に触れたことのない人は、お経を聞く機会といえばお葬式の時ぐらいでしょうから、そのように思われるのも無理はありません。

しかし、お経は本来、亡くなった人ではなく、生きている人のためのものなのです。

約2600年前、釈迦は35歳で仏のさとりを開かれてから、80歳で亡くなるまでの45年間、インドの各地で、数多くの講演をされました。

その講演を、多くの弟子たちが書き残したのが、今日の「お経(経典)」と言われるものです。『大無量寿経』『法華経』『般若心経』などは、それらの経典の名称です。

釈迦の説かれた「経典」は、七千余巻もあり、総称して「一切経」と言われています。

釈迦45年間の教えの記録は、すべてこの七千冊余りの膨大な書物となって残されています。ですから「一切経」とは、いわば釈迦一代の「講演集」と言えるでしょう。

「石よ浮かび上がれ」と唱えれば、沈んだ石は浮かぶのか?

お経は意味を知らないと、聞いていてもなんだか呪文のように感じられるかもしれません。

しかし、その中には苦しみ悩んでいる人間を幸福にするための言葉の数々が書かれています。

釈迦が生きた人を相手に話した内容ですから、当然ながら死人に説かれたものはありません。
お経はすべて、生きている人を相手に説かれたものです。

ところが、葬式や年忌法要などでお経をあげることが、死人を幸せにするという考えは、世の常識になっているようです。

釈迦の活躍した時代のインドでも、弟子の一人が次のように尋ねています。

死人のまわりで有り難い経文を唱えると、善い所へ生まれ変わるというのは本当でしょうか

すると、黙って小石を拾い、近くの池に投げられた釈迦は、沈んでいった石を指さし、

あの池のまわりを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、と唱えながら回れば、石が浮いてくると思うか

と反問されています。さらに、

石は自身の重さで沈んでいったのだ。どんなに浮かび上がれと言ったところで、石が浮かぶはずがなかろう。
人は自身の行為によって死後の報いが定まるのだから、他人がどんな経文を読もうとも死人の果報が変わるわけがない

と説かれています。

ただ「読む」のではなく、意味を「知る」こと

読経で死者が救われるという考えは、本来、仏教にはなかったのです。

それどころか、お経とは、そのような迷信を破り、生きている私たちが、生きているときに、本当の幸せになれる道を明らかにされたものです。

まずは、お経が何のために書き残されたのかをよく知ることが大切です。

では、葬儀などでの読経は全く無意味なことかと言いますと、そうではありません。

厳粛な儀式を通して、やがて迎える自己の真実の姿を見つめれば、限りある人生で本当に大切なことは何かを考える仏縁ともなるでしょう。

また、チンプンカンプンな読経のみで終わらせるのではなく、そこに説かれている教えを聞き、真の幸福を知る機会になれば、大いに意味のあることだと言えるのです。