今年は猛暑続きだと思っているうちに、いつしか秋の深まりを感じる頃となりました。
ついこのあいだ年始を迎えたはずが、もう年末の予定も立ち始め、時の流れの速さを感じます。
瞬く間に過ぎてゆく人生、限られた時間を大切に使いたいものですね。
私たちは日々、さまざまな苦しみに悩まされていますが、名著『歎異抄』には、人間の苦しみには根本と枝葉とがあり、根本の解決を急げと教えられています。
苦しみの根本原因とは何でしょう? ベストセラー書籍『歎異抄ってなんだろう』から、連載5回目をお届けいたします。
(編集部より)
『歎異抄』では、私たちの苦しみには「根本」と「枝葉」の2つがあると教えられています。
苦しみの根本が断ち切られない限り、枝葉は、苦しめ悩ませ続けます。
苦しみの根本が断ち切られた時、枝葉は問題にならなくなるのです。
『歎異抄』では、煩悩は苦しみの枝葉であって、根本ではないと教えられています。
では、苦しみの根本とは何か。
それこそが、生きている時に治る、もう1つの難病なのです。
治る難病——死後が暗い心の病
古今東西、すべての人の苦しみの根元は、「無明業障の病」(死んだらどうなるか分からぬ、死後が暗い心の病)と、親鸞聖人は明示されています。
しかし、無明業障の病は、万人の人生を苦に染める最も恐ろしい難病ではあるが、死ぬまで治らぬ108の煩悩と、根本的に違うのは、生きている現在、完治できる点だと親鸞聖人は説かれています。
誰しも死を嫌います。
「死んだら、どうなるのだろう」など、想像もしたくありません。みな耳をふさいで考えないように生きています。
「4(し)」と聞くと「死」を連想するからか、病院には4号室がなかったり、エレベーターに、4階が抜けていたりします。
それだけ目を背けたいのが死だからでしょう。
私たちは、死と真っ正面に向きあうのはあまりにも恐ろしいので、病気や環境問題にすり替えて、対処しようとしているのではないでしょうか。
核戦争が怖い、地震が恐ろしい、ガンになりたくない……というのも、その根底に死があるからでしょう。
ティリッヒ(ドイツの哲学者)は『生きる勇気』の中で、人間は一瞬たりとも、死そのものの「はだかの不安」には、耐えられないと言っています。
しかし私たちの現実は、日々、どこへ向かっているのでしょうか。
人生は一方通行です。
赤ん坊として生まれてから、どんどん年齢を重ね、老化防止、アンチエイジングに努めても、少し若く見えたりする程度です。
病気にならず、健康で長生きできれば喜ばしいのですが、現在の年齢でとどまることも、子供の頃に戻ることもできません。
「光陰矢の如し」、月日は飛ぶように去ってゆきます。朝かと思ったら、あっという間に夜です。
年を重ねるほど、年月の流れが速く感じられるのは多くの人の実感だと思われます。
ブレーキの利かない車で、猛スピードで突き進んでいる先は死です。室町時代の禅僧・一休は、元旦を「冥土の旅の一里塚」と言っています。
「冥土」とは、死後の世界です。
1年経ったということは、1年、冥土に近づいたといえるでしょう。
古今東西の人の数ほど、いろいろな人生航路がありますが、共通しているのは100パーセント死に向かっての航海です。
死は、土足のまま座敷に乗り込んでくる
死は、万人の確実な未来であるだけではなく、いつやってくるか分からぬ無礼者です。
仏教には「老少不定」という言葉がありますが、「老」(年長者)が先に死んで、「少」(若い人)が後とは、決まっていないということです。
ガンと10年闘い世を去った岸本英夫(東大・宗教学教授)は、死はまさに突然襲ってくる暴力だと闘病記に残しています。
「死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていないからである。(中略)
死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気でやってくる。ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である」
(『死を見つめる心』岸本英夫 著より)
死は、万人の確実な未来であり、突然やってくる厳粛な現実でありながら、まじめに考える人は極めて少ないものです。
肉親や知人、友人などの死に遇って、否応なしに考えさせられる時もありますが、あくまでも一過性で、日々、忙しい忙しいで過ぎ去ってゆきます。
学生なら勉強に忙しい、社会人なら仕事が忙しい。子育てに忙しい方もありましょう。
趣味や遊び、地域の集まりや社会貢献など、忙しいことにも色々ありますが、目の前のことで、みな精一杯です。
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書くように、どこに向かって進んでいるのか、最も大事な行き先までも、忘れがちです。
しかし、どんなに忘れていても、やがて突然、忘れている「奴」がやって来るのです。
(『歎異抄ってなんだろう』高森顕徹 監修、高森光晴・大見滋紀 著より)
死んだらどうなるか分からない、「死後が暗い心の病」を治す方法はあるのでしょうか。
人生で最も恐ろしい「奴」と真剣に向き合ったときに、何かが変わるのかもしれません。
この連載では、続けて「はじめての人でも分かる歎異抄」をお届けしていきたいと思います。
古今の解説書の決定版! 『歎異抄をひらく』
「無人島に、1冊もっていくなら『歎異抄』」
と言われ、多くの人に愛読されてきました。
「心を支えてもらいました。とても大事な本です。」(71歳・女性 千葉県)
「年を重ね、無味乾燥の毎日でしたが、希望がわき、元気が出ました。」(80歳・女性 三重県)
本書には、『歎異抄』の分かりやすい現代語訳と詳しい解説が掲載され、『歎異抄』の楽しさ、底知れない深さを学ぶ決定版となっています。
ご紹介した書籍はこちら
『歎異抄』を原文・意訳ではなく、たとえ話で解説します。
なぜ、『歎異抄』を読むと、心が晴れるのか。人生の支えになるのか。納得できる入門書です。