【メッセージ】
苦しい時でも、約束は必ず守る
三国志時代の中国で活躍した軍師で、劉玄徳に仕え、蜀(221~263年の中国王朝)を建国。天才的な策略家であり、軍事、政治の両面で手腕を発揮した。冷静な判断力と深い知識により数々の戦いを導き、民からも慕われた人物。普段は書物を愛し、自然を楽しむ穏やかな性格であったと言われている。
エピソード
劉玄徳の遺志を継ぎ、漢王室の復興と中華統一を目指す諸葛孔明は、魏の討伐のために、大軍を率いて北方に遠征していました。
しかし、戦いが長期化したため、兵にも疲れが見えます。
そこで孔明は、全軍を2つに分け、100日ずつ交代で戦場に出陣する制度を作りました。
さすが天才軍師の孔明、定期的に新しい兵を送り込むことで、前線の士気を高めようとしたのです。
魏の敵軍もなかなか手強い。一進一退の戦いを続けるうちに、約束の100日目が近づいてきます。
交代する兵が到着し次第、いま戦っているメンバーを帰さなければなりません。
ですが、よりにもよってこのタイミングで、魏軍が総攻撃の態勢で攻めてくるという情報が入ったのです。
半分の勢力では太刀打ちできないかもしれない。
「こうなっては交代どころではありません!しばらく延期して、全員で敵の攻撃を防ぎましょう」
蜀軍の幹部は必死に伝えます。
ところが、孔明は、首を横に振ってこういいました。
「私がこの戦いで、多くの大将を用い、数万の兵を動かすことができるのは、信義を守っているからである。信義を失っては、もはや蜀軍に輝きがなくなり、大きな力を出せなくなる。
また彼らの父母妻子は、皆家にいて、100日経つことを指折り数え、わが子、わが夫の帰りを待っているであろう。
たとえ、いかなる困難に陥ろうとも、孔明は、この約束を破ることはできないのだ」
孔明の言葉は、そのまま蜀軍の兵に告げられました。
帰還予定の兵は最初こそ、家へ帰ることに喜んでいましたが、孔明の心を知ると、
「それほどまで、我々を思ってくださっているのか」
「このようなご恩に対して、孔明がピンチであるいま、何で我々がここを去れるだろうか」
と、皆涙を流して、帰還の延期を願い出ました。
孔明の言葉で心を1つにした蜀軍は、たちまち魏の大軍に反撃し、強敵を退けたのです。
「信頼を得るには時間がかかる。しかし、信頼を失うのは一瞬」と言われています。
孔明は、どんな約束でも必ず守ると心に決めていました。
この姿勢を積み重ねることで、彼は大きな信頼を築き上げたのです。
参考文献:
※この記事で使われている画像は、すべてAIによって生成されたイメージ画像です。