紅葉が目に映える季節となりました。
色づく木々の色に、錦秋の美を感じるでしょうか。それとも晩秋の物悲しさを覚えるでしょうか。
これから迎える未来が、親しい人と出かける紅葉狩りなら胸も弾みますが、心待ちにしていた秋も暮れ、厳しい冬支度に向かうと思えば切なさが身に沁みます。
どうやら私たちの心は、未来が明るいか暗いかによって大きく左右されるようです。
未来の不安を乗り越え、人生を真に明るくするにはどうすればいいのでしょうか。
『歎異抄ってなんだろう』から、続けてお届けいたします。
(編集部より)
『歎異抄』では、古今東西のすべての人の苦しみの根元は、死んだらどうなるか分からぬ、「死後が暗い心の病」と明らかにされています。
それこそが、生きている時に治る、もう1つの難病なのです。
ところが、死は、万人の確実な未来であり、突然やってくる厳粛な現実でありながら、まじめに考える人は極めて少ないものです。
「末期ガンです。長くて1カ月」と宣告されたら……
元気なときは「死は休息だ」「永眠だ」「恐ろしくない」と、他人ごとに考えていますが、死は、いつまでも他人ごとでもなく、未来の事でもありません。
今の私の問題となる時が、必ずやって来るのです。
「末期ガンです。長くて1カ月」と宣告されたらどうでしょう。
大問題になるのは「死後どうなるか」だけだと、ガンと10年闘い世を去った岸本英夫(東大・宗教学教授)は言っています。
ガンと闘いながら、死と真正面から向き合った記録は、壮絶です。
「生命を断ち切られるということは、もっとくわしく考えると、どういうことであるか。それが、人間の肉体的生命の終りであることは、たしかである。呼吸はとまり、心臓は停止する。(中略)
しかし、生命体としての人間を構成しているものは、単に、生理的な肉体だけではない。すくなくとも、生きている間は、人間は、精神的な個と考えるのが常識である。生きている現在においては、自分というものの意識がある。『この自分』というものがあるのである。そこで問題は、『この自分』は、死後どうなるかという点に集中してくる。これが人間にとっての大問題となる」
(『死を見つめる心』岸本英夫 著より)
「死んだら、なにも無くなるよ」と言いつづけている人でも、知人や友人が死ぬと、「ご霊前で」とか、「ご冥福を祈ります」と頭を下げられます。
「霊前」は、故人の霊の前であり、「冥福」は、冥土(死後の世界)の幸福のことだから、いずれも死後を想定してのことです。
「安らかに、お眠りください」などと、涙ながらに語りかけられる事もありましょう。
毎年8月には、戦没者の慰霊祭が執行されます。無謀な戦で苦しみながら葬られた霊を慰める行事です。
通常なら、幸福な相手を慰めるということはありません。そんな必要がないからです。
死者の霊が、どんなに苦しみ恨んでいるだろうかと、慰めを必要としているという心情がなければ、これらの行事は成り立たないはずです。
冥土を否定しながら、冥土の幸福を祈る。
否定しようとしても、否定しきれない「何か」が、そのようにさせ、言わせるのでしょう。
「社交辞令だよ」と笑って済ませるのは、肉親などの死別に遇わない、暫くの幸せなときだけにちがいありません。
死後は有るのか、無いのか、どうなっているのか、さっぱり分からない。
お先真っ暗な状態が事実でしょう。
「死んでからのことは、死んでみにゃわからん。つまらんことを問題にするな」と、冷笑する声も聞こえてきそうです。
しかし、有るやら無いやらわからない、火災や老後のことは心配しています。
生涯、火事に遇わない人がほとんどです。だが火災保険に入って用心しています。
若死にすれば老後はないのに、老後の蓄えに余念がありません。
「老後のことは、老後になってみにゃわからん。つまらんこと」とは、言わないようです。
万が一の火災や老後には備えるのに、確実な未来の大問題を無視すれば、自己矛盾になりはしないでしょうか。
「考えたって、どうなるもんじゃないよ」
「その時はその時さ」
「そんなこと考えていたら、生きていけないよ」
「必ず死ぬからこそ、今を一生懸命に生きるしかない」
といった、半ば諦めの歎きも聞こえてきます。
頑固に目を背けさせる死には、無条件降伏か、玉砕か、大なるアキラメしかないのでしょうか。
未来が暗いまま、現在を明るくはできない
親鸞聖人は、この「死んだら、どうなるか分からぬ心」を「無明業障の病」と言われ、すべての人が罹っている最も恐ろしい難病だと忠告されています。
では、なぜ無明業障の病(死後が暗い心の病)が、古今東西、万人の苦しみの根元であると、親鸞聖人は言われているのでしょうか。
未来が暗いと現在はどうなるか、考えてみましょう。
例えば、3日後の大事な試験が、学生の今の心を暗くするでしょう。
5日後の、大手術をひかえた患者に「今日だけでも、楽しくやろうじゃないか」といってもムリでしょう。
未来が暗いと、現在も暗くなります。
間もなく墜落することを知らされた、飛行機の乗客の気持ちを想像してください。
どんな食事も美味しくないし、コメディ映画も面白くなくなるでしょう。快適な空の旅どころではありません。
不安におびえ、狼狽し、泣き叫ぶ人もでてくるでしょう。
この場合、乗客の苦悩の元はやがておきる墜落ですが、墜死だけが恐怖なのではありません。墜落の悲劇に近づくフライト、そのものが地獄なのです。
未来が暗いと、現在も暗くなります。
現在が暗いのは、未来が暗いからです。
未来が暗いといっても、老後の問題や、火事や災害、事故や病気の心配など、いろいろありますが、万人に共通の未来は死です。
その確実な未来が、ハッキリしない「死後が暗い心の病」をかかえたままで、明るい現在を築こうとしても出来る道理がないのです。
(『歎異抄ってなんだろう』高森顕徹 監修、高森光晴・大見滋紀 著より)
未来が明るくなれば、現在も明るくなる。つい目の前のことばかりに追われる毎日ですが、少し立ち止まって考えたい大切な視点ではないでしょうか。
この連載では、続けて「はじめての人でも分かる歎異抄」をお届けしていきたいと思います。
ご紹介した書籍はこちら
『歎異抄』を原文・意訳ではなく、たとえ話で解説します。
なぜ、『歎異抄』を読むと、心が晴れるのか。人生の支えになるのか。納得できる入門書です。
おすすめの関連書籍
『歎異抄ってなんだろう』監修の高森顕徹先生のベストセラー『歎異抄をひらく』には、今も多くの感想が寄せられています。
● 77歳・女性・主婦(大阪府)
主人が85歳で癌で亡くなり、心の拠り所が無くなりました。そんな時に、この本を買い、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と、親鸞聖人のお言葉の深い思いに感じ入り、読み終えた時には、仏教観が変わっていました。また自分自身の人生も救われたような気がしました。
● 33歳・男性・看護師(広島県)
看護の仕事についていますと、生と死に向き合うことが多々あります。何かいい書物がないか考えていたとき、『歎異抄をひらく』を手にしました。祖母・両親のこと、兄弟一人一人の命について、深く考えることができました。多くの方々に読んでいただきたいと思っています。
▼こちらの書籍も、ぜひ、あわせてお読みいただきたいと思います。