【メッセージ】
情けは人のためならず
和歌山県出身の実業家。パナソニック(旧松下電器産業)の創業者。電気器具の製造販売から事業を始め、一代で世界的な電機メーカーを築き上げた。その偉業から、「経営の神様」と呼ばれている。夫婦円満でも有名で、妻・むめのには公私ともに支えられていた。
エピソード
1929年、順風満帆に発展していた松下電器も、世界恐慌には悩まされました。
売上は半分に落ち込み、倉庫には在庫が山積みになっています。
しかも、幸之助は病気で入院しており、社内へ直接指示を出せない状況だったのです。
役員からの提案は実に現実的で非情でした。
「会社を守るためには、社員を半分に減らし、生産を半分に減らすしかありません」
たとえ不況でも、大切な社員を守りたい。
窮地に立った幸之助は、不思議と元気が湧き出てきたと言います。
そして、打開策がパッと頭に浮かんだのです。
「生産はすぐに半分にしよう。けれども、従業員を解雇したらあかん。会社の都合で簡単に辞めさせたり、雇ったりしていたら、みんなも不安に思うだけやからな。工場は半日勤務、ただし給料は全額を払おう。その代わり、休日返上で外回りや。少しでも在庫を売り歩いてもらおう。これは少しの間のことや。みんなで乗り越えようやないか」
未来を見据えた幸之助の判断です。
役員がこの言葉を皆に伝えると、リストラ覚悟の社員たちからワッと歓声が起きました。
結果として、山積みの在庫はわずか2カ月で完売。それどころか、工場をフル稼働にしなければ生産が追いつかないほどでした。
松下電器は見事に苦境を乗り切ったのです。
まさか幸之助も、この決断に救われる日が訪れるとは想像もしていなかったでしょう。
不況打開から14年。戦時中、国からの発注で松下電器は飛行機を製造していました。
第二次世界大戦後、それが戦争協力とみなされ、幸之助は責任者として、GHQに公職追放を言い渡されたのです。
恩義のある社長のピンチに、松下電器の労働組合は立ち上がりました。
社員はもちろん、その家族からも、1万通を超える追放撤回の嘆願書が集まったのです。
この異例の出来事は大きな話題になり、半年後、幸之助の公職追放は解除されました。
情けは人のためならず。人への思いやりは、自分の元へ返ってくるのです。
参考文献:
・松下幸之助『松下幸之助―私の行き方考え方』(1997)日本図書センター
・渡邊 祐介『松下幸之助物語 一代で世界企業を築いた実業家 』(2019)PHP研究所
・社史 – パナソニックの歴史 – パナソニック ホールディングス
※この記事で使われている画像は、すべてAIによって生成されたイメージ画像です。