凹む力(へこむちから) #6

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「気分の波」に振り回される理由~「ちょうどいい」がわからない状態①~

前回まで、自分を抑え込んで頑張っている「過剰適応」について様々な角度から書いてきました。今回は、そうして感情を抑え込むことの「反動」について考えてみます。
前回までの連載はこちらから

おしらせ

いつも「凹む力」の連載をご愛読くださり誠にありがとうございます。

読者の皆さまの反響を受け、このたび、「Dr.高木の凹む力Q&A」のコーナーを開設することが決定いたしました!

「凹む力」の連載の中で、疑問に思ったところ、さらに詳しく知りたいと思ったところなどをぜひお寄せください。ワークシート内の【質問募集コーナー】から随時募集しております。

今後とも、「凹む力」をよろしくお願いいたします。

(編集部より)

気分の波が大きくて、振り回されてしまう

「気分の波」に振り回される理由~「ちょうどいい」がわからない状態①~の画像1
Cさんは、仕事が忙しく、職場では一息つく時間も取れずに働きづくめの日が続いています。

脳が疲れている感じがして、集中力も落ちているなと感じることが増えてきました。

せめて家に帰ったらゆっくり休もうと思うのですが、いつの頃からかボーっとすること多くなり、気づいたら時間が過ぎていて、思うように休めません。

休むとなったら、ボーっとするか、動画を見続ける。

何かしようと思うと、イライラしたり、すぐに飽きたり、落ち着きません。

外では気を張っているからか平気そうに振る舞えますが、家で気が抜けると、訳も分からず不安になったり、動悸がしたり、泣けてきたりもします。

気分の波が大きく、遊びに行くとはしゃぎ過ぎて、帰宅するとグッタリ疲れがでてくる。

そして、一度気持ちが落ち込むと中々あがってこない。気分の上がり下がりが「ジェットコースターみたい」と友人に指摘されるほどでした。

アクセル全開と急ブレーキをくり返している感じで、それで余計に疲れるともいいます。

「ちょうどいい」がわからない状態

これは、一言で言えば「ちょうどいい」がわからない状態です。

「気分の波」に振り回される理由~「ちょうどいい」がわからない状態①~の画像2

アクセル全開の「過覚醒」

「過覚醒」とは、頑張ろうと思うと倒れるまで頑張り続けたり、何かに追われている感じがして休めなかったり、何かと戦っているように敵対的・攻撃的になったりする状態です。

暴走したり落ち着きがなくなったり、空回りもしやすく、ミスが増えたり、焦ったり、動悸やイライラが増えたりもします。

何もできなくなる「低覚醒」

一方で、いよいよ疲れて「低覚醒」になると、スイッチが切れたように動けなくなったり、ボーっとしたり、頭が回らず、集中できなくなったりします。

何も楽しく感じない、食欲も湧かない、色々な感覚がマヒしたように感じる。

誰かに会うのも疲れるので、人に会いたくない、全体的にエネルギーが低下したような状態です。

動けば動きすぎるし、休むのは倒れた時。

動けないと「頑張れていない」気がして、「もっと頑張らなくちゃ」と奮い立たせて、無理を重ねてしまう。そんな悪循環がひたすら続きかねません。

抑え込まれた感情は心を振り回す

このように「極端」になるのは、それだけ「余裕がない」からです。余裕がないのは、頑張らざるを得ない状況が続いたからでしょう。

疲れても「休みたい」と言ったらなまけていると思われそう、誰かに頼りたいけど迷惑かけては申し訳ない、「つらい」なんて後ろ向き発言したら怒られそう……。

「頑張ってきた」のも、頑張りたくてやってきたというよりも、ほかに選択肢がなかったり、逃げ道もなくて、追い詰められて、頑張らざるを得ない状況だったのではないでしょうか。
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「ちょうどいい」状態を認識するためには、身近な人の共感や承認が必要です。

自分なりに頑張ったときには「頑張ったね」と共感してもらえて、初めて、自分で自分の頑張りを認められます。

つらいときには「つらいね」と寄り添ってもらえると、「つらいと言っていいんだ、つらい気持ちをわかってもらえるんだ」と、自分の気持ちに素直になれ、気持ちを受けいれられるようになります。
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逆に、頑張ったのに「ここができてないじゃないか」とダメ出しばかりされると、これくらいで「頑張った」と言ってはいけないのかと感じ、もっと頑張らないといけない、とひたすら自分を追い込むことになりかねません。

つらくても「弱音を吐いてないで、もっと頑張ったら」と受け止めてもらえないと、つらくてもわかってもらえないんだ、気持ちを吐き出すだけムダだ、我慢するしかないんだ、と感情を押し殺すしかなくなります。

自分の気持ちを尊重してもらえないと、自分は大切にされる価値がないのかな、という自己否定感が強まります。

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ネガティブな感情を「感じるべきではないもの」として抑圧しすぎると、ますます自分の感情が嫌いになり、かえって感情に振り回されてしまいます。

クサいものに蓋をしても、中で圧力が高まり、爆発してしまうようなものです。

微調整しながら小出しにガス抜きをできればいいのですが、それができないと大爆発してしまいます。

あるいは抑圧された感情がそのままマヒしてしまい、世の中から色が消え、楽しいという感情まで抑え込まれて、楽しかったことも楽しいと感じられなくなり、抑うつ状態になることもあります。

凹むこと、気持ちを抑えすぎないことが大切なのは、そのためです。

極端な言葉遣いで膨らむ問題

感情が極端になると、言葉遣いも極端になってきます。

「全部いや」「何もやる気がしない」「何もかも不安」「みんな敵」「死にたい」と拡大解釈して、決めつけるような表現が増えてきます。

「〇〇かもしれないけど、××かもしれない」などの「~かも」が減り、グレーゾーン(白と黒の間の、様々な可能性)が消えてしまいます。

ここでいうグレーゾーンとは、あいまいさを許容できる「気持ちの余裕」のことです。

余裕があると、「そういう見方もあるね」と他人の立場で考えられたり、「いわれてみれば、そうかもしれない」と色々な意見にも耳を傾けられたりもしますよね。

「まあ、いいか」と適度に聞き流すことも大切です。

逆に、余裕がないと、融通が利かなくなったり、決めつけたり、真に受けたり、色々な考えがあること自体を認められません。

相手の立場に立って考えることもできなくなります。

「違う意見」は「否定された」と感じて傷つきやすく、「あなたは敵なのか味方なのか、白黒ハッキリして」と言わんばかりに、戦闘態勢に入ってしまいます。

また、「全部いや」「死にたい」など言葉のニュアンスが強くなると、本当にそんな気がしてきて、問題が膨らみ、対処できないほど大きく感じられてきます。

「100か0か」の極端な言葉になるのは、微妙なニュアンスの言葉を選ぶ余裕がなくなったり、「ここはいいけど、ここは嫌」と全体をとらえることができなくなるからかもしれません。

極端な強い言葉は受け止めるのも大変なので、周りの人からも言い返されたり、敬遠されたりして、ますますイライラが募ってしまうこともあるでしょう。

あるいは、「大丈夫」「別に」「なんでもない」など何も問題が起きていないことにして感情を抑え込むような言い方が増えていきます。
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自分としては「こんなに困っているのに」と思っていても、どれだけ困っているのか、その不安や不満が伝わりにくく、周囲との距離も広がり、孤立しがちです。

悩みが大きくなりすぎたり、無いことにしてしまうと、ますますどう対処していいのか分からなくなり、出口の見えないトンネルに迷い込んだように、途方に暮れてしまいます。

そして、自分でも本当の気持ちがどこにあるのか分からなくなってしまうこともあるでしょう。

ただ、決めつけること自体が悪いのではありません。

何でも決めつけたくなるくらい、それだけいっぱいいっぱいで、余裕がなくなっている状態に「気づく」ことが大切なのです。

「対応」ではなく、「反応」するしかなくなる

私たちはあらゆる刺激を受けたとき、「対応」か「反応」いずれかの応答を示します。

ここでは以下のような意味でこれらの言葉を使います。

対応
自分の言動の意味をしっかり考え、言葉にして他者に伝えられること。

 

反応
意図して行うものというよりは、「そうせずにおれない、そうするしかない」応じ方。自分でもなぜそうしたのか、説明できないことも珍しくありません。

極端な感情に振り回されている状態は、その状況への「反応」であることが多いはずです。

周囲からの刺激にイチイチ反応してしまうのは、自分だけど自分ではないような、もどかしさもないでしょうか。

そんなつもりはなかったけれど「やってしまった」後悔と無力感にも襲われます。

一方、状況に応じて「対応」できることが、一般的には期待されます。

「自分の言動には責任を負うのが当たり前」とされるのも、自分はどんな意図をもってその対応をしたのか、説明できるはずだと思われているからです。

しかし、心身に余裕がなく、落ち着いて考えることができない状況では、「反応」しかできなくなります。

これらの多くは「防衛反応」であり、自分を守るための反応です。

つい怒ってしまう、なぜか不安で動悸がして落ち着かなくなる、声を出そうにもノドが詰まって身体も固まってしまう、など、「そんなつもりはないのに、そんな反応が現れてしまう」ことは誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。

「反射的、身体的」な反応という表現がしっくりくる人もいるかもしれません。
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しっかり考えて「対応」するためには、考えるだけの余裕や、何とかなるという見通し、助けてくれる人もいるという信頼感・安心感なども必要です。

しかしそういった条件や環境が整わないと、どうしても余裕がなくなり、ちゃんと「対応」できず、「反応」するしかなくなります。

ただ、その言動が「対応」なのか「反応」なのかは、自分でもわかりにくく、外(他者)からも区別して評価してもらえることはほとんどないと思います。
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ゆえに、余裕がない中でイラだったり、涙が出たり、頭が回らず、やむにやまれぬ「反応」であっても、「なぜそんなことをしたのか」と責任を問われてしまうことは少なくありません。

そんなときは、自分でも説明できず、黙っているしかありません…。

基本的に、自分の言動・反応は「自己責任」とされるため、故意ではないミスや過ちも、「不注意な自分が悪いんだ」と、過度に自分を責め、自己否定に陥ることにもなりやすいのです。

なぜそうしたのか、説明できないと反省もできず、「自分はなんてダメなんだ」とすべてを否定するしかなくなります。

自分でもどうにもできない苦悩の中では、人に言われる前に自分を責めることで「自分がダメなことは自覚しているから、これ以上傷つけないでほしい」という、孤独で悲しい自己防衛しかできなくなってしまうことも、ありがちな「反応」の一つです。

まとめ

「ちょうどいい」がわからない状態は、いわば感情が暴走していて、コントロールできずに、振り回されているようなものです。

コントロールできずに自分でも困っているのに、「我慢しなさい、自己管理ができていない」と注意され、「困った人」扱いされてしまいがちです。

これは頑張りが足りないからではなく、頑張りすぎるくらい頑張ってきたからこその、反動であり、自分を守るための防衛反応です。

それに気づけると、そんな時に必要なのは、「もっとちゃんと自分をコントロールすること」ではなく、まずは「自分へのケア、自分をいたわること」であることが受け入れやすくなってきます。

自分を大切にするためには、人間の共通性、人としての自然な反応の仕方を知っておくことが、大きなチカラになります。
次回も、この話を掘り下げたいと思います。

感情の反動を知るためのワークシート