失敗したり注意されたりしたことに、つい、いろいろと言い訳をしてしまうことってありますよね。
自分の非をなかなか認められないのが、私たちなのかもしれません。
しかし言い訳ばかりしていては、信用を落とすだけ。
言い訳ばかりする子どもにため息…。
そんなママの悩みから、信用を築いていくにはどうすればいいのか、大切な心がけを仏教から学んでみましょう。
真理子
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中2の娘と小4の息子を持つワーキングマザー。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」に参加しはじめる。 |
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智美
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真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。 |
塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長とは旧知の仲。 |
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最近、息子が言い訳ばかりしてくるんですよね…。「どうして宿題忘れたの?」って聞いても、「昨日は頭が痛くて、集中できなかったの」とか「帰りが遅かったからできなかった」って。本当はテレビに夢中になって、忘れてただけなんですけどね…。
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あるわよね~、そういうこと。
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今からこんな調子でいいのかなって、ちょっと心配になっちゃいます。
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確かに、何でもかんでも言い訳するような人になってほしくないわよね。どうすれば言い訳をせずに、正直な子に育ってくれるのかしら? 塾長にちょっと聞いてみましょ。
なぜ「言い訳」をしてしまうのか
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言い訳について、仏教の観点からお話ししますね。
相手や自分自身との約束を破ってしまったとき、つい言い訳をしてしまうことは誰にでもありますよね。
子どもなら、宿題を忘れてしまった、朝寝坊してラジオ体操に行かなかった、
大人でも、待ち合わせ時間に遅れてしまったとか、子どもと遊ぶ約束をしていたけど別の用事が入っていけなかった、など。
そんなときはついつい言い訳が出てしまいます。
「最近、特に忙しくて…」
「自分は悪くなかった。あの人のせいで…」
「急に都合が悪くなったんだから、仕方ないでしょ」
なかなか、自分の非を認めたがらないのが私たちです。
非を認めてしまえば、相手から悪く思われるのではないか、立場が悪くなるのではないかと思い、自分を正当化するために言い訳をしてしまいます。
しかし言い訳は、本当に自分を守ってくれるのでしょうか。
その反対で、言い訳をされた方としては、ただでさえ約束を破られて腹立たしいのに、言い訳までされては、ますますその人のことを悪く思うでしょう。
言い訳は、人からの信用を失う元
自分の立場を守るためにしたはずの言い訳が、逆に自らを破滅に追い込むこともあります。
有名な戦国大名である伊達政宗に、このようなエピソードが残っています。
「責任転嫁」を罰した伊達政宗の書状が残っている。
事件の詳細は、よく分からないが、佐平次という家臣が、時間を聞き間違えて、主君・政宗に迷惑をかけたらしい。
ところが佐平次は、自分の非を素直に認めず、言い訳をした。悪いのは同僚だと言い張ったのであった。 明らかな責任転嫁である。
政宗は、許さない。佐平次に切腹を命じた。
驚いたのは、彼の親である。
「なぜ、そんな些細なことで切腹なのでしょうか」
親類一同が、あわてて助命を嘆願しに来たので、政宗は、次のような書状を書き、奉行に厳正な処罰を命じている。
「佐平次が責任転嫁した現場に、私も居合わせたので、経緯は十分に把握している。
聞き間違いは、誰にでもあることだ。そんな理由で成敗を加えるのではない。自分が悪いと正直に詫びずに、同僚に罪をなすりつける態度が、あまりにも卑劣なので、厳罰を命じたのだ」
追伸として、もう一度、繰り返している。
「時間を聞き間違えたから罰するのではない。確かに、今回の失敗そのものは小さいことかもしれない。だが、自分が犯した過ちを、他人のせいにするのは、非常に重い罪なのだ」
自分の失敗を、他人のせいにしたら、信用をなくすだけである。
しかも、それは本人だけの損失では終わらない。
当然、責任転嫁された人の心は傷つくだろうし、恨みも抱くだろう。和が乱れ、団結が損なわれるのは間違いない。
また、些細なことさえ責任転嫁する者は、重大なミスを犯した時には、なおさら隠蔽工作をするだろう。組織が瓦解する元凶となる。
周り中が敵である戦国時代においては、まさに一国、一城の存亡の危機に直結する大問題であった。
(『新装版 こころの朝』木村耕一著 より引用)
「言い訳」は自分の信用を落とすだけでなく、人を傷つけ和を乱すことにもなることを、伊達政宗は厳しく教えました。
確かに、「言い訳」をしている人を見ると、あまりいい気持ちはしないですよね。
政治家や芸能人が、自分が起こした不祥事に対し、つべこべ言い訳をしている姿を見ると、「不誠実だな」という印象を多くの人が持つと思います。
言い訳や責任転嫁のために、ますます立場を危うくしている人が後を絶ちません。
ついしてしまった言い訳で、今までどれ程の信用を落とし、相手を傷つけてきてしまったか、反省させられます。
失敗からの大逆転
仏教では、約束を守ることを「持戒(じかい)」といい、勧められています。
約束を守ることは、相手と信頼関係を築き、また自己成長のために不可欠ですね。
しかし、人間である以上、失敗やミスはつきもの。それで、周りの方に迷惑をかけてしまうこともあります。
仮に、ミスや失敗をしてしまったとき、約束を守ることができなかったとき、どうすればいいのでしょうか。
歴代のアメリカ大統領の中でも、最も偉大といわれるのリンカーンから学んでみましょう。
「しまった!」
ある商店で働いていたリンカーンが叫んだ。
一日の売上金を確かめたところ、どうしても、三セント多いではないか。
ごまかそうという気持ちは少しも起きなかった。誰に迷惑をかけたのか、そのことで頭がいっぱいになった。
記憶をたどっていくと、八ドル分の雑貨を買った婦人から、八ドル三セント受け取ったことが分かってきた。明らかに自分の計算ミスである。
「ああ、申し訳ないことをしてしまった……」
そう思うと、もう、じっとしてはおれない。彼は、さっそく戸締まりをして、店を飛び出した。婦人の家は、だいたい見当がついている。
暗い夜道を、一時間余りも走って、ようやくたどり着くことができた。
「誠に申し訳ありません。実は、私が計算を間違えて、三セント多くいただいてしまったのです。まったく、私の過ちであります。お許しください」
彼は、一切、言い訳をせず、心から謝罪した。
「まあ! わずか三セントを返してくださるために、こんなに遠くまで来てくださったの」
婦人は、リンカーンの誠意に打たれた。
目の前に差し出された三セントの銅貨が、百万の金貨よりも値があるもののように映っていた。
「あなたの、その尊い気持ちは、今にきっと、真価を発揮する時が来ますよ」
(『新装版 こころの朝』木村耕一著 より引用)
リンカーンの誠実な人柄に、町の人々は、「あんな立派な青年が議員になってくれれば…」と、次第に期待を寄せるようになり、25歳でイリノイ州議会議員に当選します。
そして、夜道を走った日から、約30年後。リンカーンは、アメリカ第16代大統領に選ばれました。
小さな誠意の積み重ねが、大きな花を咲かせたのです。
リンカーンのエピソードから、誠実さがいかに大切であるかがわかりますね。
約束を破ってしまった時はどうする?
「謝罪は勝縁である」という言葉もあります。
失敗してしまったときや、人に迷惑をかけてしまったときに、ごまかしや言い訳をせずに誠実に謝罪をする。
ミスを帳消しにはできませんが、心から謝罪をし、ミスを繰り返さないようにすれば、かえってますます信用されるのではないでしょうか。
「このくらいの約束、破っても平気でしょ」と私たちは相手との約束を軽く思いがちですが、相手にとってはとても大切な約束かもしれません。
それなのに謝罪がなければ、人間関係はズタズタになってしまいます。
相手の立場に身をおいて、言い訳をせず、素直に謝る。この心がけを、まずは親自身が常に持って、子どもたちにも伝えていきたいですね。
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今まで、私自身がつい言い訳をしてしまっていたなと思います。そんな姿を子どもが見ていたら、同じように言い訳する子になってしまいますね。
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私もそうだわ。人間、失敗はつきものだけど、そのときこそ自分の非を認めて素直に謝ることを、心がけていきたいわね。
まとめ
- 失敗したとき、つい言い訳をして、自分の体裁を守ろうとしてしまいますが、言い訳は周りからの信用を落とし、相手を傷つける言動です
- 人間に失敗はつきもの。失敗をした時の心がけは「自分の非を認めて素直に謝る」ことです。失敗してもこの心がけがあれば、逆に信用を生み信頼されます
- まず親自身がこの心がけを常に持って、子どもにも伝えていきたいものです
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