普段、食事の前に、当たり前のようにしている「いただきます」。
海外の人から見ると、不思議な行為に見えるそうです。
「いただきます」の行為にどんな意味があるかを聞かれたら、どう答えるでしょうか。
いただきますの語源は仏教思想にあり、深くて重い意味があるのです。
留学生のキャシーと一緒に、その意味を学んでみましょう。
キャシー
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仏教塾に学びに来ている、日本が大好きなアメリカ出身の英語教師。アニメが好きで、アニメから日本語を学んだ。今回は留学生時代のエピソード。 |
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店長
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カフェいろはの店長。美味しいコーヒーを淹れてくれる。塾長(高杉小五郎)とは大学時代からの友人。 |
塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長(原田健太)とは旧知の仲。 |
英会話教師のキャシーが留学生として日本に来て半年頃のエピソード。
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ふ~。マスターの淹れてくれたコーヒーとてもおいしいデス。
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ありがとう、キャシー。日本での生活は慣れた?
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ハイ!慣れてきました。日本はイイところデスネ。礼儀正しい人も多いし、街も綺麗デス!そういえば、気になったことがあったんデスが、聞いてもイイデスカ?
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何でも聞いていいよ。
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アリガトウゴザイマス!日本人は食事をする前に「イタダキマス」って言って、手を合わせてマスネ?あれはどういう意味があるんデスカ?
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なるほど。僕らはいつも当たり前のようにしているけれど、キャシーから見たら、どういう意味なんだろう、って思うよね。そこには仏教的な思想が込められているんだ。
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オー、仏教!ワタシ、Buddhismにも関心があるんデス。ここで仏教が出てくるとは思ってませんデシタ。
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仏教に関心があるの?それはよかった。あ、ちょうど、仏教に詳しい人がいるから紹介するよ。お~い。
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やあ、どうしたの?
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ありがとう。こちらはキャシー。アメリカらからの留学生で、最近よくお店に来てくれているんだ。キャシーと日本人の習慣の話になってね、「いただきます」にはどんな意味があるのか知りたいそうで。ぜひ話をしてもらえないかな?
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わかったよ。ぜひ深い意味があることを知ってほしいね。はじめまして、キャシーさん。ここのカフェで、仏教の話をしている高杉です。
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ハジメマシテ!日本のことをもっと知りたいと思っていマス。ヨロシクオネガイシマス!
「いただきます」のルーツ(語源)から知る『仏』の本当の意味
日本で食事の前に手を合わせて「いただきます」と言う習慣は、仏教が由来であるといわれます。
手を合わせることを「合掌」といいますが、これは元々、仏教圏での挨拶なのです。合掌することは相手への深い敬意を表しています。
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そーいえば、東南アジアの人たちが手を合わせている姿をテレビで見たことがありマスネ。
キリスト教圏では、食事の前に神に祈る、と思います。
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食事にあずかれたのは神の恵みであることに感謝して、神に祈りマスネ。仏教でも食事の前に合掌をするのは仏に感謝しているのデスカ?
キリスト教では、神がこの世界も人間も創ったといわれますね。そして、人間に食べさせるために牛や豚などの動物を創ったのだと。
すると仏教では、仏がこの世界や人間を創ったと教えているのではないか、と思う人もいるでしょう。
でもそれは大きな誤解です。仏は創造主ではなく、本当の幸せになれる真理を悟り、その真理を教えた方なのです。いうなれば、仏は「真理の発見者」です。
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仏とはそういう人だったんデスカ!知りませんでした。そうなると、合掌は仏に感謝するという意味ではないのですね?
そうですね。仏にのみ感謝している、というのは誤っていますね。
「いただきます」に込められた深くて大切な意味
では「いただきます」というのはどういう意味なのかというと、「命をいただく」という意味なのです。
仏教では、人間も牛や豚も、その他の生き物も、「命は同根」といわれ、命に差別はないと説かれます。
生きるためとはいえ、私達人間は、牛や豚などの生き物の命を奪って食べています。
私達はそれらを食べるのを当たり前に思っているかもしれません。
しかし食べられる側は、人間に食べられるために自分達は生きているんだ、と思っているでしょうか。
仮に、人間よりも強くて頭の良い地球外生命体が地球に多数やってきて、人間を捕食し始めたとしましょう。そのような内容の映画も以前、公開されたことがありましたね。
実際に自分が怪物に食べられるときに、仕方がないと諦めるでしょうか。そんなはずありませんね。その怪物のことを憎しみ、恨むでしょう。
ところが私達はそういう怪物と同じように、生き物の命を奪って生きているのです。
仏教では、生き物の命を奪うことを「殺生(せっしょう)」といいます。
食事をする前に、そういう犠牲になっていった命のあること、命の重みをかみ締めて、生きていかねば申し訳ないという想いから「(命を)いただきます」という言葉が出てきたのです。
ですから
「食」の字は、「人」が「良」くなるためにと書く
生きている以上、少しでも向上しなければ食べる意味がない
(『新装版 光に向かって123のこころのタネ』高森顕徹著 より引用)
とも言われます。
そして「いただきます」というときに、手を合わせるのにも意味があります。
「命をいただく」ときの思いや言葉と、仏教で礼儀や感謝、深い尊敬を表す「合掌」とが結びついて、手を合わせて「いただきます」というようになったのですね。
お互い、多くの命の犠牲の上に生きていることを自覚して、命をムダにすることのないようにしたいものです。
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そーだったのデスカ。確かに当たり前のように食事をしていますけど、多くの命を奪っているんデスネ。じゃあ、牛や豚を食べないようにしないといけないのデスカ?
殺生をせずに生きていくのは難しいでしょう。
問題は、そんな多くの命を頂いて生きている私達がいったい、何に向かってこの命を燃やせば、いいのか、これこそ、もっとも大事なことではないでしょうか?
人間には大事な使命がある、とも仏教では説かれています。命が大切である理由もぜひ知ってほしいです。
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言われてみればそうデスネ。生き物を食べることをやめられないなら、自分の命を、人生を本当に意味のあるもの、価値のあるものにするにはどうすればいいのか、考えないといけないデスネ。今日はとってもイイ勉強になりマシタ!ぜひまたBuddhismの話、聞かせてくだサイ。
仏教の奥深さに感銘を受けたキャシーは、帰国するまでの間、週に何回もカフェいろはに通って塾長から話を聞くことに。
そして数年後。彼女は英会話教師とて再び日本にやってきたのでした。
まとめ
- 手を合わせて「いただきます」と言う習慣は、仏教圏での挨拶である「合掌」に由来しているといわれます。これには、神を創造主として祈っているキリスト教徒は違った意味があります
- 「いただきます」というのは「命をいただく」ということです。人間は生き物の命を奪わずには生きていけません。犠牲になっていった命のあること、命の重みをかみ締めて、生きていかねば申し訳ないという想いから「(命を)いただきます」という言葉が出てきたのです
- 多くの命を頂いて生きている私達がいったい、何に向かってこの命を燃やせばいいのか。人間の使命の重さを仏教では説かれています