もしあなたが大切な人(彼女、彼氏、子どもなど)から「死にたい」「消えたい」と言われたら、どう応えるでしょうか?
SNSやインターネットの掲示板への書き込みをきっかけとして凶悪な事件も起きていることから、決して他人事ではない、切実な問題といえるでしょう。
また、自分もいつかは向き合うときがくる問題ですね。
死にたいと訴える人にかける言葉は、どんなものでしょうか?
この問いについて、精神科医の高木先生からメッセージをいただきました。
(1万年堂ライフ編集部より)
近年、いろいろな事件の背景に「自殺サイト」の存在があることが報道されています。
それだけSNSやインターネットで「死にたい」「消えたい」という気持ちを吐き出している人が多いようです。
「死にたい」「消えたい」という気持ちを周囲の人がどう受け止めていけばよいのか、悩んでいる人も少なくないのではないでしょうか。
では実際に、この悲痛な訴えにどう応えればいいのでしょうか。
診療経験や、専門家たちの意見をもとにお答えします。
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「死にたい」と言ってくる友達がいます。どう応えればいいのか分からずいつも困ってしまい、自分もツラくなってしまいます。どうしたらいいでしょうか。
「死にたい」と言われると、とても驚いてしまいますよね。身近な人、親しい人から言われたら尚更です。ビックリしない人はいないと思います。
精神科では珍しい訴えではありませんが、それでも「死にたい」という訴えを聞くと緊張が走ります。
そんな中でも落ち着いて対応するためには、ちょっとした知識と技術、そして勇気が必要です。
これは、大切な人の命を守るため、また自分自身がツラくなりすぎないために、一人でも多くの人に知っていただきたいことでもあります。
では、「死にたい」という訴えにはどう応えればいいのか。
結論からいうと
「死にたいと思うくらい、ツラいんだね」と受け止め、丁寧に返す。
この一言から始めればいいことを知っておくだけで、心に余裕が出てくると思います。
「死にたい」「消えたい」気持ちを聴くことが、何よりも大事
このようなとき、「死なないで」「そんなこと言わないで」と励ましてしまいがちです。
「まずは自殺を止めることが第一だろう」と案じてのことと思いますが、「死んではいけない」と言われて「そうでした、すみませんでした」と思い留まる人は、まずいません。
アドバイスなども後回しでいいのです。
「死なないでいてほしい」という気持ちを伝えるためには、それが伝わるような言い方があるのです。
では、なぜ「死にたいと思うくらい、ツラいんだね」と返すことがいいのでしょうか。
それはまず、このように答えることの意味を知っていただくと分かると思います。
この返答には2つの意図がこめられています。
1つは、まず「死にたい」という気持ちを受け止めることです。
「受け止める」ことは、肯定することとは違います。これは「死にたいんだね、死んでもいいよ」という意味にはなりません。
相手の言葉を反復しているだけですが、「言葉を反復する」ことに意味があるのです。
肯定もせず、否定もせず、そのまま返すことで「私はあなたが言っていることを受け止めましたよ」というメッセージになります。
これが「否定せずにあなたの話を聴きますよ」「安心して話していいですよ」というメッセージにもなります。
2つ目は、「死にたい」という訴えのウラには必ず「ツラい」という気持ちがあるということです。
「この命を絶ちたい」のではなく「死にたいくらいツラい」と訴えていることを受け止めることが大事ということです。
また反復する際には「死にたいと思うくらいツラいんだね」と、どんなことがツラいのか、という話につなげた方が、話を聴きやすくなります。
話を聴くうえでの基本は「反復すること」ですが、このように、相手の言葉を受け止めつつ少し逸らすことで、より悩みの本質に近づけることがあります。
長年、自殺予防に取り組んでいる精神科医の松本俊彦先生も、次のように言われています。
「死にたい」とだれかに告げることは「死にたいくらいつらい」ということであり、もしも、このつらさを少しでもやわらげることができるならば「本当は生きたい」という意味なのである。
(松本俊彦著(2015).「もしも『死にたい』といわれたら」 中外医学社 より引用)
くり返し『自己肯定感』の大切さを強調される心療内科医の明橋大二先生も、次のように言われています。
相手は、まず、自分のつらさを分かってほしいのです。
ですからこちらは一番に、「つらかったんだね」「嫌だったんだね」などと、わかったということを伝えてほしいのです。
自分で言ったのと、相手から自分の言ったことが返ってくるのとでは違ってきます。相手から返ってくると「わかってもらえた」という気持ちになります。
その安心感が心の支えになり、苦しみを乗り越える力になるのです。
(明橋大二著「子育てハッピーアドバイス2」 より引用)
もうこれ以上傷つきたくない
もう少し深く理解するために「死にたい」と誰かに打ち明ける人の心境を想像してみましょう。
私たちは、悩みが深刻であればあるほど、悩みを打ち明ける相手を選びます。この人なら聞いてくれるかな、分かってくれるだろうかと、さんざん悩んで、勇気をふり絞って、ようやく言えるかどうかでしょう。
これまで嫌というほど苦しんできて、死にたいくらいつらい思いをしてきたのです。
もうこれ以上裏切られたくない、傷つきたくない、ギリギリ限界のところまで追い詰められて、それでも一縷の望みをかけて、この人なら信じてもいいかもしれない、そんな思いが込められているのが、「死にたい」という一言になるのです。
重い言葉の背景には、このようないろいろな思いが込められています。
その重みを少しでも軽くしてやれないかと、荷物を一緒に持つような気持ちで、相手の言葉をそのまま「○○なんだね」となぞって、「それはつらかったね、苦しかったね」と返すことには、大きな意味があります。
つらい思いをしている人は、他人の表情や雰囲気に敏感です。そんな中であなたのやさしさを感じ取って、あなたに打ち明けたのでしょう。
「話を聴くしかできない」と思わずに、「聴くこと」にはとても大きな力があることを知っていただきたいと思います。
哲学者の鷲田清一氏も、もっと「聴くことの力」を見直すべきだと力説しています。
「〈聴く〉というのは、何もしないで耳を傾けるという単純に受動的な行為なのではない。それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事である。」
「「いる」というのはゼロではない。なにかをしてあげないとプラスにならないのではない」
(鷲田清一著(2015).「『聴く』ことの力」ちくま学芸文庫 より引用)
決して一人で我慢しないで
最後に伝えたいことは、このような話を打ち明けられた人もまた、一人で抱えずに誰かに相談してほしい、ということです。
大人でも大変な問題です。まして子どもだけで対処できる問題ではありません。
一人で頑張らなくてもいいのです。人はそんなに強くない。だから支え合うのです。
生きていて、死にたいくらいつらくなることもあるかもしれません。
そのつらさに、かける言葉が見つからなくて、無力感に打ちひしがれることもあるかも知れません。
でも、そういう自分を責める必要はないのです。
いつも張りつめて弱音が吐けないと、どこかで破綻してしまいます。
苦しい時に「苦しい」と言える、「ツラかったんだね」とみんなが声をかけ合える、そういう社会になれば、もう少し生きやすくなるのではないかと思います。