認知症患者は年々増え続け、その予防への意識も高まっています。
もちろん予防も大事なことですが、予防以上にさらに大事なことがあります。
「認知症への備え」について、精神科医の先生にお話しいただきました。
(1万年堂ライフ編集部より)
認知症の“対策”には、大きく2通りあると考えています。
その2つは「予防」と「備え」です。
予防が大切なことはモチロンですし、前回もいくつか紹介しました。
前回の予防についての記事
しかし、ここで注意すべきことがあります。
それは「予防、予防」と声高に叫び過ぎると、「認知症になる=予防失敗、負け、終わり」というイメージも大きくなりかねないということです。
どんなに予防に努めても、防げないこともあります。ならば、予防以上に大切なことがあるのではないでしょうか。
認知症への備え①ゆとりをもって暮らせるかを考えておく
予防以上に大切なこととは、認知症に備えるということです。
では、「備える」とは、どういうことでしょうか。
1つは、認知症になっても、どうすれば少しでもゆとりをもって暮らせるかを考えておくことです。
自分にとって大切なことを振り返り、家族と共有しておく
そのためには自分にとって大切なことを振り返っておくことです。
強烈に心に刻まれたことは忘れにくいといわれますが、忘れない保証はありません。忘れずとも記憶がおぼろげになり、うまく思い出せなくなる可能性もあります。
自分にとって大切なコトはなんでしょうか。大事なモノはなんでしょう。
認知症になったとしても、その人らしさは残ります。
家族との会話、大切な本を読むこと、お気に入りのコーヒーカップでのコーヒータイム、使い慣れたカバン、思い出の指輪、憩いの場所、慣れ親しんだ歌など、人それぞれです。
人それぞれだからこそ、家族でも気づかなかったり、「そんなに大事に思っていたなんて知らなかった」といったりということも少なくありません。
それらを家族と語り合い、共有しておくことは、家族との関係を振り返ることでもあり、自身の人生を見つめ直すことにもなると思います。
認知症が進んでくると、自分の気持ちをうまく言葉で表現できなくなりがちです。それでも「本人なりのこだわり」が残ることは少なくありません。
思い出の財布が見つからなくて、驚き混乱し、物盗られ妄想に発展することもあります。大事なものほど失ったショックが大きいからでしょう。
それが本人にとっていかに大事なものかを周囲の人が知っておけば「症状の意味」も理解しやすいと思います。
大切な人に大切なことを伝えておく
そして、伝えたい気持ちは伝えておく。これも大切なことだと思います。
「ありがとう」「ゴメン」など、素直な気持ちほど言いにくかったりします。
「ずっと伝えたかったけれども言えなかったことがある、それが心残りだった」という方もいました。
夫婦・親子であっても、言葉にしないとなかなか気持ちは伝わりません。失って初めて気づくこともありますが、失わずして気づければ、それに越したことはありません。
またこれは、介護が始まってからもとても大事なことです。
介護の際にはこの「ありがとう」「ごめんね」の一言があるかどうかで、介護を受ける側もする側も、気持ちが大きく違ってきます。
家族だけで抱え込まないために介護の社会制度やサービスを知っておくことも大切ですが、家族関係を見直しておくことは、もっと大切ではないかと思います。
大切な人には大切なことを、くり返し伝えたいですね。
認知症への備え②避けられない未来に備え、一番大事なことを、一番大事にする
そして、認知症に備えるとは、老いに備えることでもあります。
更に言えば、その先に待つ「避けられない未来に備える」ということでもあります。
考えたくないことではありますが、諸行無常は世の習い、どんなに避けたくても避けられないことです。
世界的ベストセラー「7つの習慣」に、後悔しない生き方のヒントが教えられています。
それは「最優先事項を優先すること」。
平たく言えば、一番大事なことを、一番大事にすることです。
人生に大事なことは色々あります。仕事、人間関係、財産や遺産、旅行や趣味など人それぞれでしょう。
しかしそれらは「一番」大事でしょうか?
あれも大事、これもやらなきゃ、と日々の大事なことに忙しく、私たちは意外と、「一番」大事なことを後回しにしがちです。
「最大事の最大の敵は、大事(The enemy of great is good.)」という言葉もあります。
「忙しい」と、字のごとく「心を亡く」し、大切な何かを忘れがちなのが私たちではないでしょうか。
この「人生を後悔しないコツ」は、時代も超えて語り継がれています。
徒然草(49段)には「優先順位を間違うと、死ぬ時に、後悔しますよ」と注意されています。
いよいよ死に直面した時、初めて、行き先が真っ暗な心に驚いて、「自分がやってきたことは間違いだった」と知らされるといわれています。
その「間違い」とは、真っ先にすべきことを後回しにし、後にすべきことを急いで、人生の時間を使ってしまったという後悔です。
(『こころ彩る徒然草』木村耕一著 より引用)
また、次のようにもいわれます。
「多くのことを知るよりも、もっとも大事なことを知る人こそが智者である」
「数多い人生論が曖昧模糊で終わるのは、生きる『目的』と『手段』が峻別できないだけである」
(『なぜ生きる』高森顕徹著 より引用)
「認知症を学ぶ」とは「人間を学ぶ」ということ
認知症について学ぶということは、必ずしも「認知症という特殊な状態」について学ぶことではありません。それは人間について学ぶこと、といっても過言ではないと思います。
物盗られ妄想や、自宅から「帰る」と出ていってしまう徘徊、暴言や暴力などの症状のウラにも、必ず何らかの理由があります。「困った人は、困っている人」なのです。
余裕がなくて失敗を認められず、他人のせいにしてしまう。そんな弱さに情けなくなることは、誰でもあると思います。
先の見えない不安や、誰かと一緒にいても埋まらない孤独を感じたことがない人もいないのではないでしょうか。
苦しい人生、なぜ生きるのか、と問わずにおれなくなるほどツラくなることも少なくないと思います。
これらを「人間らしい気持ち」とするならば、認知症は「人間らしさ」が露骨に現れる病といえるかもしれません。
認知症という病や老化のために、できていたことができなくなり、覚えていたことを忘れてしまったとしても、その人が生きてきた意味が失われるわけでもありません。いのちの価値が減ってしまうわけでもありません。
以前の記事で「認知症の問題の本質は『自己肯定感の低下』にある」と書きました。
自己肯定感とは、自分には生きる意味がある、存在価値がある、生きてきてよかったと喜べる気持ちのことです。
周囲の人たちとの関係にも大きな影響を受けますが、この自己肯定感は、やはり最後は自分自身の問題です。
しかし、社会の第一線で働き、家族のために粉骨砕身してきた方々には、そういったことまで踏み込んで考える機会は意外と少なかったかもしれません。
そういう方々こそ、「認知症」の備えとして人生を振り返る時間をとってみることは、少なからぬ意味があるのではないかと思います。
少子高齢化が進み、認知症がまだまだ増えていったとしても、一人ひとりが老いや病と向き合い、皆で支え合って、「生きてきてよかった」と心から喜べる生き方ができる。そんな社会になったらいいなと願っています。
まとめ
- 認知症の備えの1つは、どうすればゆとりをもって暮らせるかを考えておくことです。
- 備えの2つは、自分にとって大切なことの「優先順位」を定めておくことです。
- 弱さ、孤独感、不安など「人間らしさ」が露骨に現れる病が認知症です。認知症を学ぶことで、人間について学び、人生を振り返るきっかけとなれば、悔いのない生き方の第一歩になると思います。
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人間の実相について知ることも、ひとつ、認知症の備えになるかもしれません。