放送開始から17年続く、超人気番組「相棒」。
水谷豊さん演じる警視庁特命係・杉下右京が、相棒とタッグを組んで事件を解決していく刑事ドラマです。
その300回記念スペシャル「Season16 第13話(前編)・14話(後編)」のタイトルが、「いわんや悪人をや」でした。
「深い意味がありそうだけど、そもそも何の言葉?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
これは日本の古典的名著『歎異鈔』に書き残されている、親鸞聖人の言葉です。
正確には、
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
という一文です。
「それなら受験のときに歴史の参考書で見た」とか、「高校の倫理で習った」という人も多いかもしれません。
「善人よりも悪人」とはどういうこと?
そこで、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」ですが、現代語に訳すと、「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさらだ」という意味です。
そう聞くと、にわかに疑問が起こってきます。
善人が救われるというのは分かるけれど、「なおさら悪人が救われる」とはどういうこと?
なぜ、善人よりも悪人なの?
どこか悪人の肩を持つような、悪いことをしたのに開き直っているような、そんな言葉に聞こえるかもしれません。
しかしそこは、9歳で仏門に入られてより、誰よりも自己に厳しく、悪を恐れ善を求められた親鸞聖人、何か深いわけがあるに違いありません。
実際、この一文には、次のような説明が続きます。
「しかるを世の人、つねに曰く「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」
(それなのに、世の人は常に言う。「悪人でさえ助かるのだから、善人はなおさらだ」)。
世間の人たちの、「悪人でさえ助かるのだから、善人はなおさらだ」という常識は、よくよくご存知の上での発言なのです。
人間社会は、すべてこの常識の上に成り立っています。
教育というのは、一言でいえば、子どもたちに「悪いことをやめて、良いことをしなさい」と教えるものですし、倫理や道徳は、「親切や感謝の心を大切にしなさい」と善を勧めるものです。
犯罪をすれば、もちろん捕まって刑務所に入れられるでしょう。
そういった世間の常識は当然ふまえた上で、ではなぜ、「いわんや悪人をや」というような、不思議な言葉を残されたのでしょうか。
ドラマで3人のキーパーソンが暗示する「悪人」
ここで相棒300回記念スペシャルの内容から考えたいと思います。
ストーリーは、津川雅彦さん演じる元法務大臣の瀬戸内米蔵が、袈裟姿で出所するところから始まります。
国際支援物資をめぐる不正とのことですが、人道支援のためにやむなく犯したことではないかと、ネットでは擁護する声も上がります。
法務大臣在任中は、死刑執行の命令書へのサインを拒否したことがあり、その理由を「仏の戒めが強く心を動かした」と言っています。
キーパーソンの2人目は、警視庁総務部広報課長・社美彌子(仲間由紀恵さん)。ロシアのスパイとつながっているとの疑惑をかけられながらも、謎の行動を続け、公安をも巻き込む事件に…。
3人目は、二世議員の片山雛子(木村佳乃さん)。政治家として、手段を選ばず多くの人を闇に葬り去りながらも、ついには議員辞職へと追い込まれ、瀬戸内米蔵の寺へ「出家したい」と申し出ます。
そしてラスト、明らかになった犯人の動機にあ然とさせられます。
これら主要人物が物語っているのは、正義を貫こうとすれば法律をも犯し、己の欲や保身のためには、悪にも手を染めてしまう「人間の性」ではないでしょうか。
歎異抄解説の決定版から読み解く
「相棒」のストーリーからも、「いわんや悪人をや」の悪人は、一部の人を指しているのではなさそうだということが分かります。
歎異抄解説の決定版、『歎異抄をひらく』には、「悪人」について、このように詳説されています。
私たちは常に、常識や法律、倫理・道徳を頭に据えて、「善人」「悪人」を判断する。
だが、聖人の「悪人」は、犯罪者や世にいう悪人だけではない。極めて深く重い意味を持ち、人間観を一変させる。
いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし
(歎異抄)
どんな善行もできぬ親鸞であるから、所詮、地獄の外に行き場がないのだ。
この告白は、ひとり聖人のみならず、古今東西万人の、偽らざる実相であることを、『教行信証』や『歎異抄』には多く強く繰り返される。
(高森顕徹著 『歎異抄をひらく』より引用)
悪人とは、悪を造らずには生きていけない、すべての人間だということではないでしょうか。
『歎異抄』には、私たちの常識を一変させる、このような人間観・人生観があますところなく書かれています。
これを機に、ぜひ日本の名著に触れてみてはいかがでしょうか。